(山本勘助)
NHK 歴史秘話ヒストリア
戦国ボス・武田信玄 最強の秘密~ダメ上司から名将への道
今なお語り継がれる戦国の名勝負 『川中島の戦い』 共に最強と恐れられた武田信玄と上杉謙信が激突した。
鉄の結束を誇る家臣団を組織した信玄、その統率術は現代ビジネスマンの手本にもなる。…最新の調査では、新入社員が選ぶ理想の上司、№1に武田信玄が選ばれています。
新入社員が選ぶ戦国武将 理想の上司ランキング
1位 武田信玄
2位 豊臣秀吉
3位 織田信長
4位 徳川家康
5位 上杉謙信
しかし、かつては部下が付いて来ず、信玄は職務放棄した事もあります。ダメ上司が名将へと生まれ変わった秘訣とは…
1.家臣の考え、進言をたとえ自らの考えと違っても受け入れ尊重しました。
2.家臣の働きをこまめに評価し、功績があった者には即、褒美をとらせました。信玄は戦の最中でも常に金品を傍らに置き、すぐに褒美として渡せるようにしていました。
静岡大学名誉教授 小和田哲男 先生
「… 今の言葉でいえば成果主義、それを実践してくれている信頼感がありますね。武田軍団の強さは、 『人の和』 です。
武田二十四将という言い方をしますが、それぞれの地域の有力な武将たちが信玄の旗の下に集まって結束力の勝利といえます。…」
武田信玄 VS. 上杉謙信の 『川中島の戦い』 は、下記の記事に詳しく載っていますので割愛します…ご参考に…。
NHK BS歴史館
完全再現! 川中島の戦い~上杉謙信VS.武田信玄 名勝負に迫る
https://www.tabi.cafe/entry/2020/03/28/154108
この記事のメインは
名軍師・山本勘助です
武将・武田信玄を語る上で欠かせない家臣がいます…武田家きっての軍師と言われた山本勘助です。
しかし、この山本勘助、歴史的な史料が極端に少なく、江戸時代に記された 『甲陽軍鑑』 が殆ど唯一の記録、専門家の間では実在したのかも疑われてきました。
(甲陽軍鑑)
山本勘助は、大河ドラマでもあまりにも活躍しすぎ…実は、本当なの?とかなり、ブログ管理人は疑っていたのです。
新田次郎は著書 『武田信玄』(全4巻)の中でわざわざ、山本勘助の事を疑わしいと記して勘助抜きで物語を構成しているほどです。
ところが…最近になって
新たな発見があったのです
群馬県の博物館(安中市学習の森ふるさと学習館)にその貴重な資料が保管されています。
学芸員 佐野享介さん
「今回見つかった史料は、山本勘助に直接宛てられて出された文書です。」
民家の蔵で発見された古文書の数々、その中に信玄がしたため、勘助に送った手紙が2通あったのです。
1.一つは戦に備えて作戦を検討するよう命じたもの
2.勘助の手柄を褒め、100貫文、現在のお金で800万円相当の褒美を与えると記したものです。
新しく見つかった史料から山本勘助の実像が少しづつ明らかになっています。
■これは認めざるを得ません…やはり、山本勘助は、実在していたってことですね。
甲陽軍鑑(ウィキペディアより抜粋)
信虎時代の国内統一を背景に領国拡大を行った武田信玄を中心に、武田家や家臣団の逸話や事跡の紹介、軍学などが雑然と構成され、江戸時代には江戸をはじめ各地で読み物として親しまれた。
1582年(天正10年)に武田氏は織田・徳川連合軍の侵攻により滅亡したが、織田信長の死後、徳川家康が甲州を支配するようになり武田遺臣を用いる方針を取ったため、甲州流軍学が盛んになった。
本書は甲州流軍学の聖典とされ、江戸時代には出版されて広く流布し、 『甲陽軍鑑評判』 などの解説書や信虎・晴信(信玄)・勝頼の三代期を抽出した片島深淵子 『武田三代軍記』 なども出版された。
江戸期の講談や歌舞伎をはじめ、明治以後の演劇・小説・映画・テレビドラマ・漫画など武田氏を題材とした創作世界にも取り込まれ、現代に至るまで多大な影響力を持っている。
刊本には古写本を底本とした酒井憲二『甲陽軍鑑大成』や明暦年間の流布本を底本とした磯貝正義・服部治則校注 『甲陽軍鑑』(人物往来社、1965年)などの諸本がある。