茶碗(ちゃわん)5杯の酒をあおって宮家に乗り込み、茶を出されかけると「自分で買って飲む」とぴしゃり-。・・幕末の動乱期、将軍になる前の徳川慶喜(よしのぶ)の気迫あふれる駆け引きの様子を記した記録が高知県の歴史家らの調査で見つかった。
1864年に京都で朝廷や幕府などが出席した会談の様子などを記述。同じ内容の記録は他にもあるが史料を調査した青山文庫(高知県佐川町)の松岡司名誉館長は「幕末維新史の一場面が劇画のように記され面白い。理想肌で一本気な政治家、慶喜の姿が垣間見える」と評価している。
土佐藩士、樋口真吉の雑記の中の一節で、樋口が親交のあった志士、中岡慎太郎の書状から写したとみられる。
攘夷論をめぐり天皇側近の朝彦親王が前日の会談での発言を撤回していることを知った26歳の慶喜が「茶椀ニテ五杯ホド引カケ直ニ早馬ニテ」親王邸に刀を持って乗り込んだと記述。
あいさつ抜きで「御一命ヲ頂戴仕私モ身ノ覚悟」と脅しながら、あやふやな政治姿勢を追及する様子が記されている。
将軍の補佐役だった慶喜は当時、幕府の立て直しのため外交や国の在り方をめぐり朝廷や有力諸藩などとの折衝に奔走していた。茶を出させようとした親王を「今日ハ茶ヲ呑ニハ参ラズ」とはねつけ、「私ハ十万石頂戴仕テ居マスカラ茶ハドウカコウカ買テ呑候」と一喝したとの一文もある。
慶喜の気迫にうろたえた親王が顔色を変え、雨のように汗を流したとも記していた。
■幕末の異様な空気、風、熱気が慶喜を動かしていたんでしょう・・とにかく頭の切れる男だったらしいですからね。
■慶喜が将軍家じゃなくて長州、薩摩に生まれていたらなんて考えるとワクワクしますね。