旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

スーパー留学生 長州ファイブ

f:id:tabicafe:20200329075523j:plain

BS歴史館
スーパー留学生 長州ファイブ

幕末の密航留学生
長州ファイブとは?
伊藤俊輔:後の初代総理大臣、伊藤博文
井上聞多外務大臣井上馨
山尾庸三:工業の父
野村弥吉:鉄道の父、後に井上勝と改名
遠藤謹助:造幣の父

神田外語大学 専任講師 町田明広
「我々は今、長州ファイブと呼んでますが、実は90年代に日本ではなくイギリスで彼らの検証が始まって長州ファイブと呼ばれるようになったんです」


長州ファイブは
なぜ留学したのか?

実は彼らは外国人排斥を訴える過激な活動家でした…そのさいたる例が文久2(18768)年12月12日のイギリス公使館焼き打ち事件です。

井上聞多:「命を賭しても夷敵を排除し、国家の御楯となる」(『井上伯伝』より)

ここまで外国人を目の敵にしていた彼らが考えを改め、外国に学ぶ留学を決意したのでしょうか。…それは佐久間象山の影響です。

f:id:tabicafe:20200329075530j:plain

佐久間象山

象山は攘夷は到底不可能といい切ります…「攘夷は到底不可能、異国に学び軍備を充実させる。夷の術を以て夷を防ぐより他なし」(『象山全集』より)

意外にもこの象山の教えに感銘を受けたのが過激な攘夷活動を行う長州藩士だった井上聞多だったのです。

「象山の言う、攘夷不可には半信半疑だったが軍備充実論には共感した」…井上は攘夷実行には留学が不可欠と思い至ったのです。

そして井上を中心に平均年齢25歳の若者の留学計画が始動するのです。…しかし鎖国下の海外渡航は御法度、発覚すれば死罪、…そこで5人は密航を決意します。


大胆不敵!
密航留学

まずは資金調達…長州藩の御用金を担保に商人から5000両を借用、藩に無断でこれをやってのけます。

「宿志を遂げたい一心で大金を押し借りしたのは万死に値するが初志貫徹出来ぬ場合は、生きて帰るつもりはない…生きた機械を買ったと思い許してもらいたい」

5人が留学先に選んだのはかつて公使館を焼き打ちしたイギリス、…イギリスの貿易商社、マセソン商会が密航に尽力します。

イギリスにも打算があり、幕府じゃらちが明かないので西国の雄藩である長州と繋がりを持ちたいという思惑が合致したのです。


「生きた機械」覚悟の留学

元プロ陸上選手 為末大
「人間危機になると目覚めると思います。陸上競技のスタートのピストルの雷管の火薬の裏側に書いてあるんです。 ”危険であると認識しているうちは安全である” 彼らの危機意識が行動させた。村の中では安全だが外に出れば危険という認識をもった…視野の広さと時間軸の長さが問題ですね」

並々ならぬ決意で出発した長州ファイブ、ところがイギリス留学で彼らの考えは根底から覆ります。

攘夷の念如きは
跡形もなく消え去った
(『井上伯伝』より)
彼らは途中上海に立ち寄ります。そこで見た光景は、イギリスの進出で変わり果てた大国・清の姿だったのです。
・わがもの顔で町をねり歩く西洋人
・こき使われる上海の人々

軍艦その他、蒸気船など100艘以上
初めて見た。
これが全て襲い来ると思うと
防御のしようがない。

海軍をわが国に興して
軍備を整えないと
ついに国を滅ぼす。
(『井上伯伝』より)

上海での光景を見て5人の若者は、西洋列強の脅威が目前に迫っている事を痛感します。…その後もつらい船旅は続きました。

食べ物はビスケットと
塩漬けの牛肉ぐらいであった。
水夫同様の扱いを受け
デッキを掃除させられた。
不満を言おうにも
英語がわからない。

1863年11月4日、4ヵ月以上もの過酷な航海を経てロンドンにたどり着いたのです。


サムライたちの
留学生活を追う!

ロンドン大学には当時の5人の足跡を記す資料が残されていました。ロンドン大学にある学籍簿には、彼らの名前があります。

f:id:tabicafe:20200329075551j:plain

・化学
・物理学
・鉱物学
まだ日本では馴染みの少なかった理系の学問を学んでいたのです。ロンドン大学は当時最高の学問が学べた名門大学、ろくに英語も話せなかった彼らがなぜ潜り込めたかというと。

マセソン商会が5人の教育係を依頼したアレキサンダー・ウィリアムソンでした。裕福ではなかったウィリアムソンでしたが5人をホームステイさせながら自らが教鞭を取るロンドン大学に入学させたのです。

f:id:tabicafe:20200329075536j:plain

アレキサンダー・ウィリアムソン)

その日々は、彼らにとってかけがえのない体験でした…

英字新聞を辞書を使ったり
夫妻に質問したりして
どうにか読めるようになった。

毎日通学し
朝夕は家で算術を教わった。

東の果てからやってきた若者に我が子のように接してくれたウィリアムソン夫妻、休日は社会見学…
・博物館
・国会
・造船所
…5人はこうした暮らしの中で近代国家イギリスの繁栄とそれを支える人々の活気を目の当たりにしたのです。

鉄道は諸方に快走し
工場から噴き出る
黒煙は天にたなびき
人々の往来も激しい
その繁華の盛況に茫然

攘夷の念如きは
跡形もなく
消え去った
(『井上伯伝』より)

命を賭けて海を渡った5人の若者には、もう ”攘夷” の二文字はありませんでした。


長州ファイブ
命懸けの挑戦

文久3(1863)年5月10日、長州藩外国船砲撃事件が勃発、長州藩が攘夷決行のため、フランス、オランダなどの外国船を砲撃したのです。

これによって日本と西洋列強の緊張関係は一挙に高まって行きました。…5人はロンドンの地で一連のニュースを伝え聞きます。

そしてリーダー井上が滞在3ヶ月を経た頃、一つの決意を固めます…

どんなに海軍の学術を
研究しても
自分の国が滅びれば
全く無益である。

伊藤と二人で帰国して
藩主を説得し攘夷を変じて
開国の道を取らせる。

3人(山尾・野村・遠藤)は残って
初志貫徹せよ。

…日本の危機を救うため、二手に分かれた長州ファイブの挑戦が始まったのです。

元治元(1864)年6月、井上・伊藤が帰国、…二人が真っ先に向かったのが駐日イギリス公使ラザフォード・オールコックでした。

f:id:tabicafe:20200329075543j:plain

(駐日イギリス公使ラザフォード・オールコック

名もなき二人の若者が戦争相手国の公使に直談判したのです…

長州藩が行った
無謀な外国船砲撃は
子供が大人に
石を投げるのと同じ事

大人である外国が
四国連合して
子供を攻めるのは
いかがなものか?

必ず藩主を説得し
攘夷を止めさせ
開国主義へと
方向転換させるので
攻撃を止めてほしい。

…ひたむきな嘆願に心を動かされたのか意外にもオールコックは、井上と伊藤に長州藩を説得する猶予を与えます。

2週間後、二人の第2ラウンドが始まります。…藩主・毛利敬親と対面した井上らは自ら目にした西欧列強の力を訴えます。

西洋では
君主から市民まで
皆一致協力して
富国の為に努め
人民の為の
行政法律が整っている
これこそが文明である

こうした国々と戦って
勝てる訳がない

領土や賠償金を奪われ
国を滅ぼすだけである

…しかし井上の提言は受け入れられず、逆に売国奴と言われ、二人を斬るべしという意見まで現れます。

事態が一変したのは一ヵ月後、7月19日、京都で禁門の変が勃発、長州藩の過激な藩士が御所を守る諸藩と戦ったのです。

まもなく幕府は長州征伐を決定、長州は数十万の幕府軍に取り囲まれる事になったのです。…列強と幕府、二つの敵とは戦えない長州藩は一転、井上を呼びだし…『外国との戦争を止める交渉をしてこい』 という事になったのです。

井上は藩主の優柔不断な態度に憤激…

和議の方針を
今後一切
変える事の無きように

…井上は藩主から確約をもらい交渉役を引き受けます。しかし8月5日、四国艦隊は交渉を待たず砲撃を開始、下関戦争が開戦、列強の圧倒的な軍事力の前に長州藩は完敗します。

 

f:id:tabicafe:20200329075559j:plain

そして講和交渉は高杉晋作を代表に井上・伊藤が通訳として参加、…外国の信頼を得た井上たちの尽力でついに和議が成立します。下関戦争の収束です。

青山学院 教授 榊原英資
「井上はオールコックにうまいこと言ったね…『あなた方は大人、我々はまだ子供』…大人げない事しなさんなってことですよね…非常にうまいですよね」

元プロ陸上選手 為末大
「イギリス人は、 ”あなた方は紳士服でしょ” と言われると弱いんですよ」

司会 渡辺真理
「確かに紳士でしょと言われたら次の瞬間、紳士でない行動はとれませんよね」

神田外語大学 専任講師 町田明広
「むしろ彼らにとって藩との交渉より、イギリス側との交渉の方が楽だったと思いますね…藩主・高級官僚はわかってますが一般、下級藩士感情はどうにもならないんですよ。井上と伊藤が帰ってこなかったら講和がうまくいったかどうかわからない…よくぞ帰ってくれたと思いますね」

 f:id:tabicafe:20200329075608j:plain

司会 渡辺真理
青山学院 教授 榊原英資
元プロ陸上選手 為末大
神田外語大学 専任講師 町田明広