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「D-DAY ノルマンディー上陸作戦の全て」
1944年6月6日、3万4000人のアメリカ兵がフランス北西部のオマハビーチに向かいました…彼らの平均年齢は22歳、当時ヨーロッパはナチスの占領下、それに対して連合軍は史上最大の作戦を展開、ドイツ軍が鉄壁の守りを固める海岸線を突破し、西ヨーロッパの開放を目指します。
しかし上陸する兵士たちを待ち受けたのは、敵の凄まじい攻撃でした…これはオマハビーチでの12時間に及ぶ激戦の記録です。
史上最大の作戦
ノルマンディー上陸作戦の始まり
第2次世界大戦の勃発から5年、ナチスドイツはヨーロッパの大部分を手中に収めていました…アメリカは連合軍の先頭に立ち反撃に出ます。
午前6時:フランス・ノルマンディー沖、第一陣となるアメリカ軍8個中隊の出撃態勢が整いました…彼らはオマハと呼ばれるコードネームの海岸に近づきます。
上陸用舟艇の中に19歳の兵士、ハル・バウムガルテンがいました…船に乗っている兵士たちの殆どが初めての出撃です。…ハルもその一人、この日、3つの思わぬものが彼の運命を決めます。
1.朝食で食べたもの
2.水の抵抗
3.7発の弾が残っていた銃です。
ハルは大学生でしたが徴兵されたのです…彼が戦いを決意したのは信仰のためでもありました。
ハル・バウムガルテン
「私はユダヤ人です…ニュースを見たんです。ドイツ軍が無理やり、ダビデの星を付けさせていました」
ユダヤ教徒の兵士は、認識表に別の宗教名を刻む事が出来ました…ナチスに捕らえられた時、暴行されるのを防ぐためです。
ハルと仲間たちはオマハビーチを目指していました…彼を待ち受ける海岸を見下ろす丘の上ではドイツ兵が機関銃を構えています。…ナチスの最新兵器MG42です。
アメリカ・ブローニング社の2倍、世界最速の連射スピードを誇りました…1分間で発射される銃弾の数は1500発、1丁の機関銃から1秒間に25発の銃弾が放たれ、秒速900mの猛スピードで飛んできます。
しかもハルたちの乗る上陸用舟艇を狙っている機関銃は5丁、毎秒125発もの銃弾が絶え間なく打ち込まれる計算になります。
アメリカ軍現役将校 ウィリアム・ボデッタ
「優秀な兵士と機関銃は悪夢のような組み合わせです…戦闘においてまずやるべき事は、迅速に敵の機関銃を探し出し、排除する事です」
銃弾が飛び交う中、上陸を強行します…砂浜が近づきてきます…ここで新たな問題が起こります…船酔いです船での移動に船酔いはつきものですが戦場では死に直結しかねません。
戦地に向かう兵士に振舞われた豪華な朝食があだとなったのです…5時間前、イギリスからの航海中、出撃をひかえた兵士たちにボリュームたっぷりの朝食が振舞われました。…バイキング形式でステーキ、チキン、ソーセージ、ベーコン、豆、卵、アイスクリームやドーナツまで何でも食べ放題、兵士の腹を満たし士気を高めるのが目的です。
たまたまチョコレートしか食べなかったハルは無事でしたが他の者たちにとっては景気づけの朝食が逆効果になってしまったのです。
ハル・バウムガルテン
「船酔いのせいで兵士たちの体力は6割がた奪われ、戦える状態ではありませんでした」
オマハビーチに着く頃には、多くの兵士たちが衰弱しきっていました…まさに最悪のタイミングです。
午前6時38分:多数のアメリカ兵がオマハビーチに上陸しました…ハルの載せた上陸用舟艇も岸に接近し、前方のランプドアが開きます。
上陸用舟艇のランプドアを狙った集中砲火に見方の兵士が次々と倒れて行きます…生き残る方法はただ一つ、船の側面から飛び降りるのです。
船酔いの上、重さ45キロを背負った兵士たちが水深3mの海に必死で飛び込みます…装備を外す事にとまどった兵士の多くが戦う前に溺れて命を落としたのです。…船酔いで体力を奪われ、機敏な動きが出来なかったのです。
そして何とか海面に浮かび上がった兵士たちを次なる危険が襲います…秒速900mで迫りくる銃弾の雨です。…この状況を切り抜けるカギとなったのは水の性質でした…水が彼らの命を救ったのです。
実際に使用されていたドイツ軍の機関銃MG42で実験を行いました…海面に弾丸を撃ち込んだところなんと90センチで弾丸が海水の抵抗で止まってしまうのです。
オマハビーチでは、ほんの数センチの差が生と死を分けたのです…銃弾が水中に入った場所が自分から90センチ離れていれば確か理ますが、それより近いと死がまっているのです。
彼らの任務が始まってまだ2分の事でした。…オマハビーチに最初に上陸した1450人の兵士たちの内、3分の1以上が、上陸開始1時間で死亡、または負傷したといわれています。
たった2分の間に世界一恐ろしい機関銃が多くの兵士の命を奪ったのです。
6時42分:上陸開始から10分近く経過しましたが戦況は思わしくありません…兵士たちは、攻撃にさらされながら砂浜を突破しなければなりません。
その距離は、300m、フットボールのフィールド3面分です…初めの180mには、爆薬のついた障害物が設置されています。240m地点には防潮堤と鉄条網、その先には1万7000個の地雷です。
こうした危険地帯を抜けてようやく敵のいる丘にたどり着きます…ドイツ軍を攻撃できるのはそれからなのです。
上陸した部隊は孤立無援です…しかし作戦があります。戦車の投入です戦車を先に出し、歩兵部隊を援護しながらドイツ軍の守備隊を攻撃するはずでした。
連合軍の技術者が水上を進める水陸両用のDD戦車を開発したのです…しかし当日のノルマンディー海域は波が高く29両の戦車の内、27両が水没、岸にたどり着いた戦車も機能しませんでした。
DD戦車の上陸が失敗に終わり、オマハビーチの兵士たちは厳しい状況に追い込まれたのです…彼らは戦車の援護なしに砂浜を突破し、守りの堅い敵の陣地に乗り込まなければなりません。
実は、この展開は予想外の事態でした…当初の計画では、上陸前にドイツ軍の防衛部隊を全滅させているはずだったのです。…連合軍はドイツ軍の兵器や威力を知っていたので上陸前にこれらを破壊しようとしたのです。
D-DAY、4時間前…連合軍の飛行機がドイツ軍の防衛拠点を爆撃しに行きます…446機の爆撃機が1万3000発の爆弾を積んで飛び立ちました。
史上最大規模の精密爆撃となるはずでした…しかし厚い雲が広がっていたため爆撃は、開発間も無いレーダーに頼らざるを得ません。…それを聞いた海軍は、沖合の味方の艦隊を誤爆される事を恐れました。
そして爆撃機には、爆弾投下のタイミングを遅らせるよう指示が出されたのです…海岸を過ぎてから5秒から30秒待って落とせでした。…当たるはずが無い…1万3000発の爆弾は、ドイツ軍の防衛ラインを傷つける事はなかったのです。
そして無傷のドイツ軍防衛ラインに向け、戦車の援護も無いまま突入せざるを得なかったのです…連合軍にとってこの日、最大の失敗です。
8時00分:兵士たちは、上陸したものの身を隠す場所も無い砂浜です…1時間半かけて進めた距離は、たった200m…そしてついに重火器による砲撃が始まりました。
砲弾は、2通りの方法で人を傷つけます…一つは砲弾の破片です…高温の破片が恐ろしい速さで飛び散ります…形や大きさの違う鉄砲玉が四方八方から飛んでくるようなものです。
もう一つは、砲弾が炸裂する際にできる衝撃波です…圧縮された空気の塊が秒速何千mの速さで襲ってきます…浜にいる兵士には大変な脅威です…衝撃波だけで内臓がやられます。
8時30分:上陸開始から2時間が過ぎました…オマハへの上陸作戦は誤算の連続でした…作戦の成功が危ぶまれます。
そして兵士たちは、士官も下士官も失い、指揮を執る者がいないまま戦っていたのです…上陸部隊は2つの敵と戦っていました…前方のドイツ軍と背後から迫る満潮です。
09時30分:海岸はほぼ満潮に覆われ、数千人の兵士たちは、幅僅か9mほどの狭いエリアに押し込まれました。…兵士たちはドイツ軍の格好の標的です。
その時、一人の男が戦況を見つめていました…「強いリーダーシップと信念が無ければ作戦は失敗する」という危機感を抱いて…。
この人物はローマンダッチ・コータ准将です。
オマハビーチから数百m沖で今が軍人として最も重要な瞬間であると悟り、行動に移したのです。…コータ准将には、やるべき事が見えていました、まず指揮系統を確立する事、次に海岸から部隊を移動させ、ドイツ軍に反撃する事です。
コータ准将は、上陸すると部隊に支持を出します。
ハル・バウムガルテン
「その時、大尉にに向け同僚が声を上げました…『大尉あれを見てください』とね…その150mほどの方向を見ると葉巻を振り上げて大声を上げている人物がいました…海岸を横切って走ってくるなんて信じられません…命知らずですよ」
「彼は、自分が指揮を執るべきだと考えたのです…『この状況を打開するんだ、指揮官がいないのなら自分がやる』とね」
コータ准将という指揮官を得た上陸部隊ですがドイツ軍への攻撃を阻む鉄条網が立ちはだかります…バンガロール爆薬筒を使って鉄条網爆破に取り掛かります。
バンガロール爆薬筒:それぞれは1-2m程度の細長い筒状の爆薬筒で、これを連結することで長く伸ばして使用される。敵の砲火に曝されるために容易に近づけない障害物を、爆薬による強力な爆発力によって破砕・無力化して味方兵力の進行路を啓開するために使用される。
その頃、沖には12隻の軍艦が待機していました…ここからなら敵陣に砲撃を浴びせる事が出来ます…しかし艦隊には上陸部隊を援護してはならないという命令が出ていたのです。…艦隊の任務は、予備の兵士を乗せて停泊している輸送船を守る事だったのです。
つまり、コータ准将の部隊は孤立無援ということです。…そんな中、彼らは鉄条網を爆破し、ようやく突破口を開く事が出来たのです。…しかし、その先で待ち受けるのは、毎秒25発の銃弾を発射し続ける機関銃MG42です。
鉄条網は破壊でき突入口は確保されたもののドイツ軍の機関銃の集中砲火で進む事が出来ません…何人もの兵士が敵の銃弾に倒れています…兵士たちは次第に弱気になって行きます。
そして彼は言い放ちます…この時のコータ准将の言葉は今も語り継がれています…「諸君、この浜辺で死ぬなら内陸に攻め込んでから死のう」…そう言って彼は最強の武器を繰り出しました…強いリーダーシップです。
兵を率いて丘を駆け上ります…一人の指揮官の決断が兵士たちを奮い立たせたのです。…そして戦いの流れが変わりました。
一方、海上でも重大な決断が下されようとしていました…オマハ沖の軍艦から将校たちが戦いの行方を見守っていました。
上陸から数時間後、予備隊を別の海岸に送るべきか検討されました…駆逐艦で援護すべきは、予備隊を乗せた輸送船かそれとも前線の兵士たちか…上層部は悩みます。
その時、新情報が入ったのです…見方が敵の防衛線を突破したと伝えられたのです。…これを受け、海軍上層部は、待機していた軍艦に対し、ようやく攻撃を許可したのです。
艦隊は、座礁する危険ももろともせず海岸のすぐ近くまで船を進めます…岸から750m手前で止まると艦の向きを変えました…砲撃開始です。
ハル・バウムガルテン
「砲弾が頭の上を越えました…ヒューという音です…艦長と握手したい気分でしたよ」
兵士たちには心強い援軍です…これで形勢は逆転、連合軍はドイツ軍の防衛線を突破してフランスに攻め込んだのです。
D-DAYに引き続いて更に数十万人の兵士がノルマンディー海岸に上陸し、100万トン単位の物資が陸揚げされました…これほど大規模な兵と軍需品の輸送は、後にも先にも例がありません。
上記写真は、D-DAY正午にオマハビーチ上空から撮影された航空写真です…満潮で荒波が防潮堤に打ち付けているのがわかります…それに乗り捨てられた戦車や上陸用舟艇、そしてその周りに点々としてある無数の黒い影がアメリカ人兵士たちの遺体です。
オマハビーチで戦死、負傷した兵士の数は、2000人以上…しかしオマハはその日、連合軍が上陸した5つの海岸の内の一つに過ぎません…犠牲者は合計で連合軍1万人以上、ドイツ軍4000人、フランスの民間人3000人です。
歴史の大きな転換点となったノルマンディー上陸作戦、それには大きな代償が伴いました。…沢山の将来ある若者たちの尊い命が失われたのです。