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100年の難問 「ポアンカレ予想」 は、なぜ解けたのか! 天才数学者失踪の謎

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NHKスペシャル
2006年一人の数学者にノーベル賞以上の権威があるとされているフィールズ賞が授与されようとしていました・・受賞の理由は、この100年間、誰も解く事が出来なかった 「ポアンカレ予想」 という数学の難問を証明した事でした。

数学者 ジム・カルーソン博士
「まさか私が生きている内に誰かがポアンカレ予想を証明してしまうなんて思ってもいませんでした」
数学者 ブルース・クライナー博士
ポアンカレ予想は、この100年間、多くの数学者を苦しめてきた難問中の難問です。ですから最初は証明された事を誰も信じませんでした。」

その時、前代未聞の出来事が起こりました・・なんと受賞者のロシアのグリゴリ・ペレリマン博士は受賞を拒否したのです。
メダルや賞金(1億円)の受取りを拒否しただけでなく、数学界から完全に姿を消してしまったのです。

数学者 ウルフガング・ハーケン博士
「4年に一度のフィールズ賞の栄誉をわざわざ拒否する数学者がいるなんて驚きでした。拒否した理由が何なのか非常に興味をひかれました」

実は、ペレリマン博士は、精神を病んでしまっていたのです。
ペレリマン博士の失踪の理由を探る為にも数々の数学者の人生を狂わせてきた難問が解き明かされるまでの100年の足跡をたどる必要があるのです。

ポアンカレ予想は100年前のパリで誕生しました。
アンリ・ポアンカレ(1854~1912)数学、物理学、哲学などあらゆる学問に精通しレオナルド・ダビンチ、ニュートンに並ぶ知の巨人と称えられた人物です。

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ポアンカレ予想(1904年)「単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相と言えるか?」・・わけわかりませんね。
簡単に説明すると 「誰かが長いロープを持って宇宙一周旅行に出かけたとしてその人物が旅を終え地球に戻ってきたとしましょう・・宇宙に張り巡らせたロープが手元に回収できれば宇宙は丸いと言う事・・また回収できなければドーナツ型などの可能性があると言う事です」

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ポアンカレは、「宇宙に出なくとも宇宙の形を知る事が出来るはずだ」 と考えたのです。

イギリスが生んだ知の巨人 アイザック・ニュートン(1642~1727)が生んだ微分積分がその後、図形を扱う数学の微分幾何学へと発展して行きました・・難しい数式で図形を厳密に捉えるかたい数学です。

一方、それから200年後に生まれた20世紀の知の巨人 ポアンカレは 「微分幾何学ではとらえどころの無い宇宙の形は理解できない。まったく違った発想が必要だ」・・こうして生みだされたのが位相幾何学トポロジー)です。

ポアンカレが考え出したトポロジーでは難しい方程式は使いません・・物のとらえかたが大雑把で柔らかいのです・・ポアンカレ予想が変わって見えるのはこの新しい数学トポロジーの分野の問題だからなのです。

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トポロジーでは多少の形の違いは気にしません。トポロジー以前の微分幾何学では、このテーブルの上の物はそれぞれ異なる形だと考えますがトポロジーの考え方は柔軟です。

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ポアンカレは細かい形は気にせず穴の数が同じならば同じ図形とみなす事を提唱したのです・・トポロジーでは穴の数が大切なのです。


レオナルド・ダビンチ、ニュートンに並ぶ知の巨人と称えられたポアンカレ自身もこの難問を解く事が出来ませんでした・・ポアンカレは論文の終わりを 「この問題は 我々を遥か遠くの世界へと連れてゆく事になるだろう」 と締めくくっています。


ポアンカレ予想と数学者の闘いは1950年代 プリンストン高等研究所で最初のピークをむかえます。
数学者 ウルフガング・ハーケン博士は、ポアンカレ予想と出会った時の第一印象は、「非常に優しい問題に思えた」 と言います・・以来その証明に半生を捧げました。

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ハーケン博士「いつも証明の98%まで簡単に辿りつくのですが後一歩で失敗しました・・でも、そのうちに解決策が見つかりしばらく夢中になる・・それがダメだとわかる頃、また別のアイデアが浮かんでくる・・そして精神的に振り回され、どんどんハマりこんで行きました」

ハーケン博士には最大のライバルがいました。ギリシャ出身のクリストス・パパキリアコプーロス博士、パパの愛称で知られていました。
パパとハーケン博士はポアンカレ予想を巡って激しくしのぎを削ります。

パパは、ポアンカレ予想に取りつかれた孤高の数学者と呼ばれていました・・一日の全てを研究に使いました・・ハーケン博士とパパを悩ませていたのは、宇宙に張り巡らせたロープが絡んでしまう事でした・・上手くからまず回収する方法が見つかればポアンカレ予想を証明できるはずでした。

ある時、珍しくパパが後輩の数学者を呼び出して 「大きく前進したポアンカレ予想を最後まで証明したわけではないが限りなく証明に近づいた」 と行ったのです。
ところがその証明に致命的な欠陥が見つかりました。激しいショックを受けたパパは、ますます人前に姿を現さなくなります。
そんな中、ライバルのハーケン博士がポアンカレ予想を証明したと宣言します。・・、パパは、精神のバランスを失いました。
しかし3日後、ハーケン博士の論文に大きな間違いが見つかったのです・・この数日間の出来事がパパの精神に決定的なダメージを与えたのです。

二人の争いは、パパが癌で亡くなることであっけなく終了します・・しかしハーケン博士は、パパの死後もポアンカレ予想に取りつかれたままでした。
その終わりなき泥沼から救い出してくれたのは、家族のさりげない言葉でした。
「私の家族は、私の事をポアンカレ病患者と呼びました・・それが良かったのです。家族がそうやって茶化さないで ”お父さんの研究は人類史上とても大切な事なんだ” などと言っていたら最悪の結果になっていたでしょう・・家族は本気で私を日常の世界へ戻してくれたのです」 とハーケン博士は語る。


数学者達が激しい闘いを演じていた頃、旧ソビエトで一人の少年が誕生しました。
1966年生まれのペレリマン少年・・高校は理数系の名門、この学校でペレリマン少年は圧倒的な才能を発揮しました。
数々のコンクールを勝ち抜き最年少の16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得しました。
出場者の中でもペレリマン少年はひときわ目を引きました・・問題を解くスピードが抜群で回答も驚くほど短く簡潔だったからです。
ここで友達の話を・・「彼は、数学と同じぐらい物理でも大変な才能を持っていた」・・後に、このペレリマンの物理の才能がポアンカレ予想を証明するカギになるのです。


ポアンカレ予想を解く数学者は1960年代半ばを過ぎても現れませんでした・・しかしポアンカレ予想とともに生みだされた新しい数学、トポロジーアメリカで数学の王者と呼ばれるまでに成長していました。
微分幾何学は時代遅れだ」
「古い数学なんてぶっ飛ばせ」
60年代中ごろトポロジーは数学の王様でした・・この時代フィールズ賞トポロジーの専門家が獲得しました。

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それだけではなくトポロジーの発想は、数学以外の研究 「分子生物学」 「デザイン」 「経済学」 などの実社会へも応用されてゆきました・・まさにトポロジーこそが数学だという時代がやってきたのです。

60年代を代表するトポロジーのカリスマ スティーブン・スメール博士 稀代の天才スメールは、過去の数学者達の過ちを避ける方策を探し出します。
「そもそもポアンカレ予想は、三次元の空間である宇宙にロープを巡らせその輪が回収できれば宇宙は概ね丸いと言えるはずだ」 という予想でした。
スネール博士は、宇宙が三次元でなく、4次元、5次元の空間だったらという画期的な発想で攻めたのです。・・数学者達と言うのは、有りもしない世界を頭の中で作りだすのが大好きなんです。
この発想の最大の利点は、高い次元では多くの数学者を悩ませていたロープがからまないのです。

高い次元から攻略して最後に三次元を攻略する作戦です・・ところがスネール博士の作戦は大きな挫折をむかえます・・5次元、4次元で上手く行った手法3次元でのロープの宇宙でのからみには、まったく通用しなかったのです。
そして天才スネールは、ポアンカレ予想から撤退して行ったのです。


完全に行き詰ったように見えたポアンカレ予想の研究でしたがマジシャンの異名を持つ数学者 ウィリアム・サーストン博士の登場が新しい道を切り開きます。
サーストン博士は、過去の数学者達がエネルギーを注いでいたロープを解く事はあきらめました。

ポアンカレ予想は、こう言ってます「宇宙にロープを一周させてその輪が回収できれば、宇宙は丸いと言えるはずだ」 ・・しかし、この問いかけは、ロープが回収できなかった場合、たとえば宇宙がドーナツ型なのかまったく別の形なのかふれていないのです。

サーストン博士は、トポロジーを使って考え抜いたあげく10年の歳月をかけて驚くべき結論に達しました。
1982年に発表されたサーストン博士の論文は、「宇宙がたとえどんな形であろうとも最大で8種類の異なる断片からなっているはずだ」 この大胆な予想は 「サーストンの幾何化予想」 と名づけられました。
サーストンの幾何化予想が正しければポアンカレの予想通り、ロープが引っかかず回収できれば宇宙は丸いと言う事です。

つまり、ポアンカレ予想を攻略するには、サーストンの幾何化予想を証明すればよい・・数学者達が立ち向かうべき相手は、ロープのからみあいから 「宇宙がたとえどんな形であろうとも最大で8種類の異なる断片に分解できる」 ことの証明にとってかわった事です。

サーストンは幾何化予想を武器にポアンカレ予想に肉薄したのです・・しかしサーストン博士は、なぜがポアンカレ予想から撤退してしまいます・・本人曰く 「その後まったくアイデアが涸れてしまった」 との事。

 

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数学者達が宇宙の形を8つの断片に分解する試みに一斉に取り組み始めた1990年代、アメリカに一人の青年が降り立ちました。
グルゴリ・ペレリマン博士 この時26歳・・ペレリマン博士の専門は、トポロジーに王座を奪われたと言われる微分幾何学でした。
新天地のアメリカで博士は、微分幾何学の発展に貢献します。
1994年博士は微分幾何学の問題の一つソウル予想を証明しました・・絶頂期、得意満面のペレリマン博士です。

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アメリカに渡って3年、それまで明るく快活だったペレリマン博士が突然研究室に閉じこもり人付き合いを避けるようになりました。
ポアンカレ予想に取り組み始めたのです。
ハミルトン博士の「リッチフローを使えば幾何化予想を証明できる可能性がある」 と論文で発表。
ペレリマンは、リッチフロー方程式に次第にハマりこんで行きます
この方程式は、ペレリマン少年が高校時代親しんだ物理学の方程式でした。

ペレリマンがロシアに帰国して7年後の2002年秋、数学界に奇妙な噂が流れました・・インターネット上にポアンカレ予想と幾何化予想の証明が出ていると言うのです。
ポアンカレ予想を証明したと言う数学者の早合点はこの頃もしばしば数学界を騒がせていました。
そのインターネットの論文についても当初ほとんどの数学者が本気にしませんでした。

ところが数学者達が詳しく読み進めてもその内容には、間違いが見つかりません 「どこかに論理の飛躍があるはずだ」 数学者達の疑いは消えませんでした。
翌2003年、アメリカの数学界はインターネットの論文の執筆者を招き解説を求めました。
会場は、ポアンカレ予想に挑み続けてきた数学者とトポロジーの専門家で埋め尽くされました。

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壇上に現れたのがペレリマン博士だったんです。
数学者達が何より驚いたのがペレリマン博士の証明の進め方でした・・トポロジーの研究者が使ってきた手法とは似ても似つかない手法だったのです。

会場の数学者達は・・
トポロジーの専門家たちはペレリマンの話をまったく理解できませんでした」
ポアンカレ予想の話だったのですがついて行けなかったのです」
「皮肉な事にトポロジーではない微分幾何学が使われていたのです」

ペレリマン博士は、自らの専門分野である微分幾何学を駆使し、更に高校時代にはぐくんだ物理学の知識を動員して宇宙を温めたり、膨らませたりしながら宇宙を8つの断片に分解して見せたのです。
エネルギーや温度など本来数学では使われない物理学の用語を次々と登場させトポロジーこそが数学の王者であると信じてきた研究者達のド肝を抜きました。

会場の数学者達は・・
「まさに悪夢でした。私の知らない方法で証明されてしまう瞬間を恐れていたんです」
「それまでポアンカレ予想に取り組んできた数学者は、証明が終わってしまったと落胆し、トポロジーの手法が使われなかった事に落胆し、更に証明が理解できないと落胆しました」
トポロジーの専門家たちは、ああついにポアンカレ予想が証明されてしまった。でもその証明が自分にはまったく理解できない。誰か助けてって感じだったのです」

ペレリマン博士は、2002年、2003年にかけ3つの論文を執筆、数学者達の4年に渡る検証を受けて正しい証明である事が確認されました。
サーストンの幾何化予想が証明されたのです・・それは同時に100年の難問、ポアンカレ予想が証明された瞬間でもあったのです。

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ミハイル・グロモフ博士(フランス高等化学研究所)
100年に一度の奇跡を証明するのは実に困難です。
しかしペレリマンが孤独に耐えた事が成功の理由かも知れません・・孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時にめくるめく数学の世界に没入すると言う事です。
人間性を真っ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったと想像します・・ペレリマンは、それに最後まで耐えたのです。

高校時代の恩師
彼はまったく別人になってしまいました。彼の生きている世界は、我々の世界とは違うようです。
ポアンカレ予想を証明する事は、私達には想像する事が出来ないような恐ろしい試練だったのかもしれません・・その試練を彼は一人で潜り抜けたのです。
しかし、その結果、彼は何かを失ったのです。

数学の世界には、21世紀に解決されるべき難問がポアンカレ予想の他に6つあります・・数学者達は今日も危険を冒しながらその難問と戦い続けています。
いったいなぜ数学者達は、難問に挑み続けるのでしょうか。

ヴァレンティン・ボエナル博士
たとえば登山家は、普通の人とは違い山で命を落とす事を恐れません・・数学も同じなのです。
たとえ命と引き換えでも構わない、世の中の他の事など愛する数学に比べれば取るに足らないものだ・・数学の真の喜びを一度でも味わうとそれを忘れる事は出来なくなるのです。

・・・まるで数学は、麻薬ですね。

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