
天守が現存する希少な城
日本一の桜のお城
弘前城
日本のお城は、かつては2万5000以上ありましたが、現在は一般的に見学できるのは200城ほど。そのうち江戸時代以前からの天守が現存しているのは12城だけ。
弘前城(青森県)
松本城(長野県)
丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)
彦根城(滋賀県)
姫路城(兵庫県)
松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)
…これだけでも弘前城が希少だとわかるでしょう。
弘前城天守誕生秘話
1611年 天守完成(初代)
1627年 天守焼失
1810年 天守再建(二代目)
1868年 明治改元
落雷により1627年に天守閣は焼失します。天守を再建したい弘前藩、それには幕府の許可が必要です。幕府に頼みに行きました。
弘前藩:「天守を再建します」
幕 府:「ダメ」
弘前藩:「どうして?」
幕 府:「弘前に認めたら他も認めなきゃならなくなるから」
それから200年後、ロシアが北海道を狙って日本近海の現れるようになり、1806年ロシアから武力攻撃が行われます。日本は惨敗。この事は極秘に扱われました。
弘前藩200年ぶりに天守再建・・・再チャレンジ!
弘前藩:「天守再建します」
幕 府:「ダメって言ってんだろ」
弘前藩:「ロシアが来てます」
幕 府:「どう関係があるんだ」
弘前藩:「天守があれば海岸が見えて素早く対処できますよ」
幕 府:「わかった・・・作っていいよ」
…しかし嘘でした…日本海と弘前城の間には岩木山があって海岸なんて見えません。そして弘前城に天守閣が出来たとさ、めでたし、めでたし(これ本当の話ですよ…)
豆知識 2つの顔を持つ天守
幕府には、見張り台と言い張って建てた天守なので、北と東側は、簡素な櫓です。でも城下の領民から見える、南と西側は、破風で飾られた豪華な天守です。ぜひ見比べてください!見る角度によって、別のお城のようです。弘前藩、考えましたね…(笑)!


弘前城 9つの重要文化財
弘前城は「青枠:天守閣」、「ピンク枠:丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓」、「赤枠:北門、南内門、東内門、東門、追手門」が重要文化財となっています。

オレンジ色のエリアは有料エリアで…
弘前城本丸・北の郭:320円
弘前城植物園:320円
弘前城本丸・北の郭、弘前城植物園共通:520円
日本一の桜のお城
弘前城といったら桜!…津軽の桜は4月下旬~5月上旬が見頃になります。その数なんと2600本…まさに日本一の桜です。

どうですか…濠一面が花びらによってピンクに染まる、花筏(はないかだ)この光景は圧巻です。
管理人の独り言
城郭マニアの管理人としては黙っていられない…弘前城を語らせていただきます。
弘前城は、城門、櫓が築城当時のまま残され、重要文化財の建造物が9棟。それと城域の全部が非常に良い状態で残っています。弘前城ほど状態良く残っているお城は他には無い、素晴らしいお城です。
江戸時代の弘前城の絵図・・・ここからわかるのは堅い守りです。

殿様がいる本丸を何重もの堀で取り囲んでいます。(外堀、中堀、内堀))攻め手はいくつもの橋や門を突破しなければなりません。日本の近世城郭の完成形と言われています。
城の西側(赤ライン)は高さ20mの崖と川。天然の要害を利用した城造り、西側は万全の防御態勢が敷かれていました。

弱点は南側、しかしそこは、禅宗のお寺が33集まっている、通称「禅林街」と呼ばれる区画。他にも城下の要所要所に寺社を配置して防衛ラインを構築しています。「禅林街」はその中でも最大の場所となっています。つまり、手薄な南側に33もの寺を設ける事によって出城としたのです。
こんなふうに城の敷地内外、城下町を見ると違った魅力が見えてきますよ。
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