旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

決戦!関ヶ原 石田三成の近江 ”幸せを探す旅”

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NHK歴史秘話ヒストリア

大一 (だいいち) 大いなる一人が
大万 (だいまん) 大いなる万民の為に万人が一人の為に尽けせば
大吉 (だいきち) みんなが幸せになれる

みんなで幸せになろうよ
ラグビーなどでいう ”One for all”  ”All for one” の精神を石田三成は今から400年も前に持っていたんです。

episode1 石田三成の幸せを探す旅
天下分け目の関ヶ原での主役の一人、石田三成は、実像の良くわからない謎の人物しかし三成が収めた滋賀県近江を訪ねると町を発展させ人々を幸せにしようとした政治家・三成の顔が見えてきます。

現在の佐和山周辺は、石田三成の 「大一・大万・大吉」 で満ち溢れています。

慶長5(1600)年9月15日 関ヶ原の戦いは、現在の岐阜県西部の山間で行われ僅か半日で終了、戦いの3日後、西軍を率いた三成の居城、近江・佐和山城は炎上・落城します・・これを初めとして三成に係る功績や記録の多くが次々に消されてゆきました。

近江は古くから京の都に通じる交通の要所です・・関東(東海道)と北陸(北国街道)からの街道が交わり琵琶湖の水運と連携する重要な地域、戦国時代には名だたる武将が城を築き 「近江を制する者は天下を制す」 とも言われました。

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このような土地で生まれ育った三成は豊臣秀吉に見込まれ側近となった後、36歳の時(文禄4年・1595年)、近江の北側一帯の統治を任されたのです。

三成が建設した佐和山城は、攻めて良し、守って良しの城・・次の歌は有名です。
「三成に過ぎたるものが二つあり、嶋の左近と佐和山の城」

・・で ”嶋の左近” とは??

三成の家臣 嶋左近 戦った敵が恐ろしさのあまり混乱し左近の姿をまともに覚えられなかったとまで言われ、勇猛さと大胆な戦術の猛将です。
しかし左近の活躍は戦場だけではありません・・領地の経営でも三成を補佐していた資料が残っています。 
「年貢の収納は、嶋左近たち家臣に任せてある」 石田三成の手紙より・・どうやら左近は、戦いだけでなく国を治める事でも三成から信頼されていた事がうかがえます。

三成と左近は佐和山一帯を成長させる事で領地である北近江を発展させようとしていました・・三成が領内の農民に出した9カ条の掟書です。
・米が多く出来て余った場合は農民のものとしてよい
・農民から規定以上に雑兵や人夫を出させてはいけない。また農民も応じない事
・なにか不満があれば三成に直訴してもよい

当時、大名にとって農民は国を豊かにするために利用すべき存在でした・・しかし三成は、彼ら自身も出来るだけ豊かに生きられるよう権利を認めたばかりかそれを口約束にとどめず文書にして発表していたのです。

これなら支配されている農民も安心です・・今も近江の人達から慕われ続けている石田三成、その根底にあったのが 「大一・大万・大吉」 庶民をはじめ皆を幸せにしようとした三成の国造りがあったからなのですね。