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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

関ヶ原の古戦場(関ヶ原の戦い)

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関ヶ原の戦い 布陣図

2011年旅 関ヶ原の古戦場(関ヶ原の戦い

関ヶ原行ってきましたよ・・歴史に興味のない方には、あちこちに石碑が建っているだけのちっとも面白い場所でないとおもいますが、歴史好きの私としてはたまらない場所です。

関ヶ原の戦い
慶長5(1600.10.21)年9月15日、関ヶ原にて日本を真二つに分けて日本史上最大の会戦が行われたことは皆さんご存知でしょう・・石田三成を実質トップとする西軍85,000と徳川家康率いる東軍88,000の激突です。

 

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   (大垣城


関ヶ原に入る前にまず大垣城に行ってもらいたいですね・・関ヶ原より岐阜方面に12、3キロに位置しています。

この大垣城から決戦前夜(午前0時)、石田三成6,000、宇喜多秀家17,000、小西行6,000が隠密裏に関ヶ原に向かいます。

当事の天候は小雨、西暦に直すと10/21日ですから肌寒い中で足元の悪い夜間の行軍は、兵士たちの体力を奪ったんじゃないですかね・・中山道(国道21号)直線で12、3キロですから伊勢街道を大きく迂回したようですから15キロぐらいの行軍の計算です。

私は三成びいきですから三成の気持ちになって当事を再現してきました・・それに関ヶ原の戦いのおさらいをするためにも大垣城で再確認するのをお奨めします。(その場で見れるDVDなども用意されています。入場料200円)

午前5時頃、全西軍が関ヶ原に布陣完了。
午前6時頃、全東軍が関ヶ原に布陣完了。

ここで両陣営の布陣で注目すべき点ですがご存知の通り、最後まで戦に加わらなかった西軍、毛利勢(毛利秀元15,000、吉川広家3,000、安国寺恵瓊1800)、長宗我部盛親6600、長束正家1500・・計27,900が決戦場から遠すぎることです・・4キロ近く後方だと思います・・これでは、動かない毛利に三成も相当いらだった事でしょう。

この毛利勢を中心とした27,900は、家康本隊30,000(桃配山)の1キロ後方の真後ろに布陣していたのです。

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徳川家康陣跡(桃配山の下の方、高さ30mぐらい)

ここで何か変だと三成も気付かなきゃ駄目ですね・・家康が27,900もの大敵を後方に置いて布陣する訳がない・・まあこの地点なら、戦況が思わしくなければ家康も本隊30,000の大軍の力押しで後方毛利勢を蹴散らし、関東へ撤退することも可能ですがね。

午前8時頃、家康の旗本・井伊隊の発砲により両軍の火蓋が切って落とされる。
ここからは攻める東軍、迎え撃つ西軍の一進一退、やや西軍有利で展開されます。

 

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石田三成陣跡(6,000)
笹尾山、30mほどの高さの場所に本陣を置いてまさに三成の目の前が決戦場、激戦が繰り広げられていたようです。

 

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島津義弘陣跡(1,500)

 

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小西行長陣跡(6,000)

 

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天満山・宇喜多秀家陣跡(17,000)

 

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大谷吉継陣跡(600)

 

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平塚為広陣跡(大谷隊寄騎、戸田重政含め1500)

大谷吉治、木下頼継(ともに吉継の子3500)
…ここまでの計36,100で西軍は東軍を迎え撃っていたのです・・西軍85,000の半分以下(42%)しか動いていなかったんです。

 

攻撃側の東軍

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福島正則陣跡(6,000)

 

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藤堂高虎京極高知陣跡(5,500)

 

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黒田長政竹中重門陣跡(5,400)

 

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家康に代わって東軍前線を指揮した軍監・本多忠勝陣跡(500)

他、田中吉政(3000)、井伊直政(3,600)、松平忠吉(3,000)、細川忠興(5,000)、加藤嘉明(3,000)、筒井定次(2,800)、寺沢広高(2,400)、金森長近(1,200)、生駒一正(1,800)、古田重勝(1,000)、織田有楽(400)、
…数で上回る攻める東軍、計44,600、しかし西軍も粘ります。

午前10時頃、もたつく東軍に業を煮やして家康が本陣を陣場野に移す。

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徳川家康最後の陣跡

三成の陣の真ん前、距離800mってところじゃないですかね1キロ切ってます・・ついに家康を関ヶ原のど真ん中までおびき出したのです・・ここで三成は家康の首を取る完全勝利を確信したことでしょう。

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石田三成の目線での関ヶ原


すぐさま三成は、小早川秀秋、毛利勢に対して攻撃の狼煙をあげます・・しかし、三成が見たものは、動かない毛利勢、逆に味方の大谷勢に突進する小早川軍の姿でした。

午後0時頃、小早川秀秋が西軍を裏切り大谷隊を攻撃。
午後1時頃、脇坂ら四将も西軍を裏切り、西軍総崩れとなる。
午後2時頃、石田隊壊滅し、三成、伊吹山中に落ちる。
午後2時頃、島津隊、敵中突破を敢行する。
午後4時頃、東軍の圧勝で戦闘が終了する。
午後5時頃、家康、陣場野で西軍将士の首実検を行い、東軍諸将と引見する。

 

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松尾山・小早川秀秋陣跡(15,000)
松尾山麓の駐車場から陣跡・山頂まで徒歩40分・・かなりきつい山道です。
しかし、ここは最高の特等席、関ヶ原の全域が見渡せます・・厳しい山道ですが関ヶ原を理解するには是非、登ってもらいたい・・絶好のタイミングで大谷隊を攻撃した小早川秀秋の気持ちが理解できるような気がします。

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首塚

 

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西首塚


関ヶ原の合戦で討ち死にした兵士たちの首塚です・・西軍の兵たちも丁寧に葬られたようです。

 

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案内看板


関ヶ原の石碑、陣跡を回るのは、徒歩、自転車のどちらかにしてもらいたいですね・・クルマじゃ実感がわきません・・クルマでは入れない場所、駐車場の無い場所も沢山あります。


■三成が必勝だと思っていた大作戦・・実は、家康東軍の必勝作戦だったんです。

■やはり、三成は実戦経験に乏しい事が最大の負けた要因、盟友の大谷吉継が負けを覚悟して戦いに望んだようです。(小早川の裏切りも事前に察知していた)

■実際に関ヶ原を踏破して感じるのは、三成びいきの私ですがやはり、三成と家康では格が違いすぎる・・役者が違うと言わざるを得ませんね。