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旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。…当ブログ記事は転載OK…リンクを貼っていただけるなら遠慮なくお好きにお使いください。

犬山城

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戦国の鍵をにぎった城
犬山城

日本のお城は、かつては2万5000以上ありましたが、現在は一般的に見学できるのは200城ほど。そのうち江戸時代以前からの天守が現存しているのは12城だけ。
弘前城青森県
松本城(長野県)
丸岡城福井県
犬山城(愛知県)
彦根城滋賀県
姫路城(兵庫県
松江城島根県
備中松山城岡山県
丸亀城香川県
伊予松山城愛媛県
宇和島城愛媛県
高知城高知県
…これだけでも犬山城が希少だとわかるでしょう。

尾張と美濃の国境に位置して、地味ながら信長、秀吉、家康の大事に登場する、いぶし銀のような渋い輝きを魅せる犬山城を解説いたします。

まずは地図で犬山城を取り巻く環境を説明します。
青枠犬山城」「緑枠岐阜城」「黄枠:墨俣一夜城」「ピンク枠関ヶ原」「赤枠小牧山城」「黒枠:清州城」

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犬山城 築城

天文6(1537)年 織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して築いたといわれています。

木曽川沿いの小高い山の上に建てられた「後堅固(うしろけんご)の城」で、中山道と木曽街道に通じ、木曽川による交易、政治、経済の要衝として、戦国時代を通じて重要な拠点となります。

犬山城と信長の小牧山城 築城

犬山城は、尾張と美濃の国境、信長にとっては重要拠点

永禄3(1560)年 桶狭間の戦い今川義元に勝利した信長は、勢いそのままに尾張一国の支配者となります。次の目標は隣国美濃、当時清州城にいた信長は美濃を支配していた斉藤義龍を攻撃します。

しかし、何度出陣しても負け戦ばかり、信長は勢力拡大の糸口を掴む事が出来ません。…家臣の中には信長を見限る者が現れます。

数々の戦で活躍し、前線の犬山城を任せていた、いとこの織田信清が敵に寝返ったのです。ここで信長は常識外れの行動にでます。

永禄6年(1563)信長は織田家の居城、清州城を離れ、敵の城から僅か10キロにある小牧山にその本拠を築くと、翌永禄7年、その小牧山城を拠点に犬山城を攻略。信清は、甲斐国武田信玄を頼って落ちのびました。

犬山城を手に入れ、後顧の憂いがなくなった信長は、永禄10年(1567年)稲葉山城(後の岐阜城)を攻略、ついに美濃一国を手中に収めた。

 

犬山城と小牧長久手の戦い
秀吉 vs.家康

先に動いたのは秀吉です。…家康方の武将、池田恒興森長可(もりながよし)を調略で寝返らせ、犬山城を占拠。…対して家康の動きは素早かった。すぐさま小牧山城を押さえました。

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ここから本格的な軍事作戦が展開されます。
小牧山城は、元々あの織田信長が築いた城、美濃攻略のために清州から本拠地を移したほどの要衝の地。
家康はすぐに小牧山城の改修工事を実施し…大土木工事をおこなう。…3重に堀や土塁をめぐらした鉄壁の要塞が完成…近づくものは瞬時に命を落とすでしょう。

小牧山城は、秀吉が抑えた犬山城から10キロ南の地点にあります。…小牧山城から犬山城の動きが手に取るようにわかります。 

天正12年(1584)3月28日、秀吉は大軍を率いて着陣、兵力10万…対して家康方1万7000…両軍のにらみ合いが始まります。

これだけの兵力差…簡単に秀吉軍が家康方を圧倒できると誰もが思いますが、当の秀吉の言葉が残っています…
あの山を家康に取られては、味方の勝利は心もとない
…と秀吉は言っています。

天正12年(1584)4月6日、2万5,000の大軍勢にて三河を攻める作戦行動を開始。…指揮するは秀吉の甥であり後の関白、三好秀次を大将に池田恒興森長可というそうそうたる布陣。

しかし結果は池田恒興森長可、両将を打ち取られるという秀吉方の大敗北。
流石、家康、強い…家康には勝てないと悟った秀吉は、ここから和睦の道を探る方向変換をします。…詳しくは「秀吉 vs.家康 戦国屈指の頭脳戦! - 旅cafe」へ。

犬山城関ヶ原の戦い

東海道を進軍する東軍に対して岐阜13万石を領有していた織田秀信は、岐阜城を中心に数箇所に陣を張っていた。

1600年(慶長5年)8月22日、池田輝政が率いる東軍諸隊は、岐阜城攻撃を開始。迎え撃つ織田秀信岐阜城に立てこもり、犬山城大垣城からの援軍到着を待って東軍を挟み撃ちにする作戦。

8月23日明け方、東軍は犬山城大垣城からの援軍を警戒し、東の各務郡新加納村、長塚村、古市場村(現・各務原市)に山内一豊有馬豊氏戸川達安、堀尾忠氏らを配置、西の方県郡河渡(現・岐阜市)には田中吉政藤堂高虎黒田長政らを布陣させる。

この時、当てにしていた犬山城からの援軍は無かった。犬山城城主の石川貞清は、極秘に東軍の井伊直政に密書を送り、内応を約定していた。

三成ら大垣城の増援は岐阜城に向かっていたが、犬山城への手配が必要なくなった高虎・長政らは万全の体制で東軍大垣城勢の河渡作戦を迎撃した。

岐阜城は、犬山城の裏切りにより、1日で陥落。…石田三成は、岐阜城がわずか1日で陥落するとは想定していなかった。そのために対応が後手に周り、戦略を練り直さざるを得なくなったという。

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というように上記3つの例が示すように、歴史の重要場面で主役ではないが重要な位置を占めてきた犬山城。…「もしも犬山城が」…歴史に『もしもはない』といわれるが…”もしも犬山城が”…と考えると歴史好きの管理人としては、気持ちを高ぶらさざるを得ない。

 

 

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犬山城概要

名称:国宝 犬山城
通称:白帝城
立地:平山城
天守構造:望楼型・三層四階地下二階・複合式天守
天守の高さ:本丸地上より約24m
築城年:天文6年(1537)
築城者:織田信康織田信長の叔父)
廃城年:明治4年(1871)
指定文化財:国宝(天守
主な城主:織田氏池田氏・石川氏・成瀬氏

犬山城天守が楽しい!…天守閣最上階に廻り縁があります。ここの廻り縁は外に向かって下り角度。屋根の縁に乗ってる感じ!高欄(手すり)も腰の高さしかないので、チョット怖い!…でも景色はすばらしいです。

後堅固のお城は、木曽川の絶壁の崖っぷち、こっちから攻めるのは無理ですね。眺望に関してはこちらも最高!!

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入場料
犬山城:550円
犬山城+城とまちミュージアム+犬山からくりミュージアム+どんでん館:760円

 

犬山城と城下町

犬山城は、城下町とセットで楽しんでいただきたい。
下記の地図で説明します。
赤枠犬山城」「ピンク枠犬山城外堀跡」「青枠:城とまちミュージアム」「「緑枠:犬山からくりミュージアム」「青⇒犬山城下町 昭和横丁」

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城と町ミュージアム
犬山には江戸時代とほぼ同じ町割りで城と城下町が残っています。館内ホールには江戸時代の城下町を再現した巨大なジオラマがあります。これは天保11年(1840)旧暦8月28日の犬山祭当日を再現したもので、昔の犬山城の姿や当時の人々の暮らしぶりがわかります。城下町に今も残っている建物と見比べてみてはいかがでしょうか。

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IMASEN 犬山からくりミュージアム 玉屋庄兵衛工房
犬山祭の特徴は、全ての車山にからくりが載せられていることです。からくり展示館では「からくり」にスポットを当て、犬山祭の「山車からくり」や「座敷からくり」を展示しています。

からくり文化をより身近に感じてもらえるように、館内ではからくり人形の解説と実演や制作公開を定期的に行っています。土日祝には、からくり人形の実演があります(犬山祭開催日を除く)。お人形が茶碗を運んでくれる様子や、大型からくりの操作を間近で見学できます。実演は10:30と14:00の二回(季節により三回になります)行います。

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犬山城下町 昭和横丁
ここが楽しい!…青⇒ 方向に300mで「犬山城下町 昭和横丁」です。町のあちらこちらには犬山祭に使われる車山をおさめた車山蔵があります。古い町屋やお屋敷も多くみられます。

郷土料理のでんがくや五平餅をほおばったり、町屋をそのまま改造したカフェやレストランで休憩やお食事はいかがでしょう。

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管理人の独り言

斎藤道三は、信長に対して「美濃を譲り渡す」という遺言書を残し、弘治2年(1556年)4月、17,500の兵を率いる義龍に対し、2,500の兵の道三が長良川河畔で戦い(長良川の戦い)、信長は援軍に駆け付けたが間に合わず斎藤道三は戦死。享年63。

信長はその後、美濃攻略のため何度も出兵しては撃退され、小牧山城、墨俣一夜城と築城し、11年の歳月をかけた永禄10年(1567年)ようやく稲葉山城(後の岐阜城)を攻略し、美濃を手に入れる。

そこからは、停滞した11年が嘘のように、すぐさま足利義明を奉じて上洛を果たし、天下統一に向けてひた走りました。

そんな信長がくすぶっていた11年間の胸の内を想像しながら、犬山城その城下を散策してはいかがでしょう。

 

 

 

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