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「イージー・ライダー」自由と反戦と暴力と

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 NHK BS歴史館
イージー・ライダー」自由と反戦と暴力と・・

ハリウッドに最初の映画スタジオができて今年で100年、ハリウッドはエンタテイメントで世界を魅了する一方、・・「独裁者」(1940年)、「波止場」(1954年)など社会や政治の問題に切り込み時代に衝撃を与える作品も生みだしてきました。

1969年ひときわ異彩を放つ問題作が公開されます。
映画「イージー・ライダー
監督 デニス・ホッパー
主演 ピーター・フォンダ

ステッペンウルフ 「born to be wild」・・この曲、今、聴いてもしびれますね。

二人の風来坊が広大なアメリカをバイクで旅する物語、破格の低予算で作られたこの映画は当時の若者達に熱狂的に支持され世界中で記録的な興行成績を上げました。
製作費 37万ドル
興行収入 6000万ドル


イージー・ライダーが制作された時代背景

1930年~40年代はハリウッド黄金期、豪華なスタジオセットや衣装、キラ星のようなスター達、ハリウッド映画は莫大な予算をかけて世界の映画市場を席巻しました。

しかし1950年代急速に普及したテレビに娯楽の王座を奪われ、興行収入や観客動員が激減し倒産するスタジオも現れました。・・ハリウッド斜陽の時代です。

そんな時、無名の監督・若手俳優・オールロケーション、そんな低予算の映画が次々生まれます。
俺たちに明日はない」(1967年)
「卒業」(1967年)
真夜中のカーボーイ」(1969年)
・・これらはアメリカン・ニューシネマと呼ばれました。

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その中でも飛びきりの世界的ヒット作がイージー・ライダー・・製作費僅か37万ドル低予算で作られたこの映画は世界中で6000万ドルもの興行収入を叩き出したのです。


イージー・ライダーそのあらすじは・・・

主人公”キャプテン・アメリカ”役のピーター・フォンダが映画を企画したプロデューサー・・その相棒でビリー役のデニス・ホッパーが監督をつとめました。

コカインの密輸で大金を手にした二人、星条旗をあしらったバイク(ハーレーダビッドソン)に乗って西海岸ロサンゼルスから南部ニューオリンズを目指し旅に出ます。

二人の目の前には広大なアメリカの風景が広がります・・旅の途中ヒッチハイクで拾ったヒッピーに誘われ彼らのコミューンに立ち寄ります。

気ままな旅を続ける二人はひょんなことから留置場に入れられます・・そこで酔っ払いの弁護士ハンセン(ジャック・ニコルソン)に出あいます・・彼を加えニューオリンズへの旅は続きます。

しかし長髪で派手なバイクに乗る彼らは、南部の人々の激しい敵意に晒されます。・・夜、野宿する彼らは地元住民に襲われ弁護士ハンセン(ジャック・ニコルソン)が撲殺されるのです。

音楽に合わせた大胆な編集は斬新だと当時高く評価されました・・音楽予算が無い為、既成のロックミュージックを使用したのです。

そして誰も予想しなかった突然の結末、二人はごく普通の一般人の農夫に何の理由もなく、ただよそ者というだけで射殺されてしまいます。

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「ヒッピー」って何?

映画の前半、主人公達は一人のヒッチハイカーを拾います。案内されたのは人里離れた奇妙な場所、そこは若者達が共同生活を行うヒッピーコミューン・・当時アメリカで大きな社会現象となっていました。

1960年代サンフランシスコに特異な風貌の若者たちが集まるようになります。ヒッピーと呼ばれた彼らは既成の社会体制や価値観を否定、『Love&Peace』をスローガンに根本的なライフスタイルの変革を目指しました。


ベトナム戦争

冷戦構造の中、南北に分断されたベトナムの統一をめぐる争いで共産主義北ベトナムに対しアメリカは南ベトナムを支援します。

多くのアメリカ人が自由主義を守る正義の戦争だと信じていました・・しかし戦局は長引きこう着状態が続きます。

1967年に徴兵がキッカケで反戦運動が広がります・・反戦の気運が一気に高まったのが1968年1月30日に北ベトナム側が猛攻を仕掛けた”テト攻勢” 首都サイゴンアメリカ大使館が一時占拠されるなど米軍が大苦戦する姿がテレビで大きく報道されたのです。

アメリカの若者達は疑問に思います。なぜベトナムの農民兵を殺さなきゃならないのか?・・俺達ひょっとすると助け出す側じゃなく殺している側なんじゃないか?・・この戦争にアメリカに正義があるのか?

・・そんな反戦運動が頂点の時期にイージー・ライダーは公開されました。


公民権運動

公民権運動は、人種差別撤廃を求めた大衆運動、非暴力抵抗を掲げたリーダー的存在がキング牧師でした。
1964年7月2日 公民権法制定 有色人種の法的平等が認められます・・しかし南部では逆に黒人や運動家に対するリンチや暴行がエスカレートします。

映画の主人公達は南部に行って地元の白人に殺されます・・これは若い公民権運動家の3人が南部の保守的な人々に殺された実際に起こった事件の反映だったのです。

1964年6月 ミシシッピ州公民権運動家殺人事件 3人の公民権運動家が無残な遺体となって発見されたのです・・白人の運動家が殺された事でメディアで大きく取り上げられたのです。・・捜査の結果、白人至上主義を掲げる秘密結社のメンバーによる犯行だった事が判明、その中には地元の保安官も含まれていました。

南部アメリカ社会の闇に多くの人が目を向けるキッカケとなった事件でした。

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相次ぐ暗殺

1963年11月 ケネディー大統領暗殺
1965年 2月 マルコムX暗殺 ブラックパンサー党を組織し黒人による自衛闘争を主張
1968年 4月 キング牧師暗殺 彼の死に抗議して全米125の都市で一斉に暴動が起こる

映画の中の彼らも罪もなく罰せられ殺されたのです・・だからこの映画は、あの時代の不条理で行き詰まった状況を表わしているのです。


ベトナム戦争の行き詰まり、公民権運動、大統領や運動家の相次ぐ暗殺、ロックやヒッピー・・イージー・ライダーが作られた60年代は、まさにアメリカの転換期でした。

イージー・ライダーって世代によって話がまったく違ってきますね・・筆者(私)は1962年生まれで公開当時7歳、映画を観たのは中学生の時、テレビで見ましたが映画の意味は理解できませんでした。

■たぶん今、見ても歴史的価値を見いだせると思いますが映画としての面白さを感じる事は出来ないでしょう。・・イージー・ライダーは、1960年代の風を空気を熱を実際に感じて知ってる人達、その時代を生き抜いた人たちの映画だと思います。


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コミューン
コミューンは、小規模な共同社会を意味することもあり、1970年代のベトナム反戦運動公民権運動の時代には新しい価値観、生き方を模索したヒッピー達などが共同生活を営むものもアメリカでは少なくなかった。しばしば、宗教的な小教団のかたちを採ったり、語源の共通性から想像できるように共産主義的意味合いを持つことがあった。
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