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太陽の民 マヤ~今明かされる驚異の暦

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NHK COSMIC FRONT コズミックフロント
太陽の民 マヤ~今明かされる驚異の暦

中央アメリカ・ユカタン半島・・今から1000年以上も前にマヤの人々は天文学を発展させて正確な暦を作り上げました。

ハリウッド映画『2012』・・”マヤ文明の暦によれば2012年に大災害が起こる”・・”原因は太陽系の惑星直列”・・2012年地球が突然、地殻変動に襲われ人類滅亡の危機が訪れると言うSF映画です。

実際2012年はマヤにとって特別な都市です・・マヤ(Maya)はメキシコ南部やグアテマラを中心に紀元前6世紀頃起こった文明です。

しかし16世紀に滅亡、今は廃墟だけが残されています。・・謎に包まれたマヤ文明、近年石碑に刻まれた象形文字の解読が進みましたその結果、マヤの人達は現代天文学に迫る驚くべき精度の暦を持っていた事がわかりました。

マヤの人達は、1年の長さを365.242日と見積もりました。これは現代の観測値と小数点以下3桁まで一致するのです。

更にマヤは月食や日食の周期すら把握していました・・マヤの古文書、コデックスは日の出と日の入りの時に見える惑星、金星の観測記録です。

コデックスの解読からマヤの人々は複雑な金星の動きを正確に把握し、暦に取り込んでいた事がわかりました。

天文学者
「マヤが残した数字や日付は天文学者にしか理解できません・・マヤ天文学の全貌を解き明かせるのは、考古学者でも歴史学者でも無く、私たち天文学者なのです」

Front1 驚異のマヤ天文学

ユカタン半島北部、密林の中の石造りのピラミッド、チチェン・イツァ遺跡(8~11世紀)です・・60を超す建造物が5キロ四方に点在するマヤ最大級の遺跡です。

チチェン・イツァ遺跡のシンボルは高さ30mの壮大なピラミッド、ククルカン神殿です・・ピラミッドの正面にはククルカンの彫刻が置かれています。・・ククルカンとはマヤ語で羽毛の生えた蛇・・天から舞い降り豊穣をもたらす神です。

春分の日、一目マヤの軌跡を見ようと4万人もの観光客が世界中から押し寄せます・・午後3時、太陽が西に傾くとピラミッドに変化が現れます。

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日の光がうねる様な蛇の胴体を作りだし、そして地上にある蛇の頭と一つになりました・・天から地上に舞い降りた神、ククルカン。

春分の日、光る蛇が現れる秘密はピラミッドの建て方に隠されています・・このピラミッドは太陽崇拝の象徴です。

階段の数は91段、4つの面を合わせると364段(91×4=364)、頂上にある神殿の1段を加えると365段で1年の日数にピタリと一致します。

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ピラミッドの東西の軸は21度ずれています。ここに秘密があるのです・・真西に沈む日に照らされた九つの層、ピラミッドをずらした事でその影が階段に投影され光の蛇が作りだされるのです・・太陽を知りつくしたマヤが造り出した驚異の神殿です。

豊穣の神、ククルカンが舞い降りる日は農民に対しても大切な日、1年の農作業がこの日から始まる為です・・マヤ文明を支えたのは今も続く焼畑農業、農作業は春分の日から始まるのです・・種をまく時期に先駆けてこうして木を燃やして灰を土に入れ栄養分にします。

農民
「5月になると雨が降るんだ・・5月中旬には必ず降るよ。一雨来たら種まきさ、ずっと昔からこのやり方を続けてきたんだ」

雨季の直前である春分の日に木々を焼く、この焼畑農業マヤ文明を支えました。・・ユカタン半島を中心に栄えたマヤ文明ですが、1519年突如、侵略者が現れます。

スペインの艦隊が大西洋を渡ってやってきました。スペイン人はこの地を征服する際、マヤを異教徒としその文明を破壊し消し去りました・・こうして2000年にわたって栄えたマヤ文明は幕を閉じたのです。

 

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Front2 神殿に秘められた謎

ユカタン半島南部、マヤ遺跡、カラクルム(BC2世紀~AD9世紀)謎の滅亡を遂げ街は密林に埋もれています・・この遺跡が再発見されたのは20世紀に入ってからの事です。

20年に及ぶ調査の結果、カラクムルが持つ4つの神殿が持つ天文学的な意味がわかってきました。

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メキシコ国立自治大学 ヘスス・ガリンド博士
「この神殿は紀元前200年に建造された古い神殿です。真向かいに三つの神殿、建物が丁度東西に建てられています・・西側の神殿から東を望みます」

春分秋分の日は、中央の神殿から太陽が昇ります
夏至は左の神殿
冬至には右の神殿から朝日が昇ります

まさにマヤの高度な天文学が生んだ太陽に捧げられた神殿です・・カラクムルが建てられた紀元前200年と言えば日本は弥生時代、マヤ天文学はこれほど発達していたのです。

しかし9世紀、人々はカラクムルから忽然と姿を消します・・そして街はジャングルに飲みこまれました・・理由は今もわかっていません。

 

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Front3 発見!驚異の暦

1000年以上、栄華を誇った古都カラクムル・・神殿の前には歴代の王が造らせた石碑が立ち並んでいます・・その数は、120本に上ります。刻まれているのはマヤ文字・・

メキシコ国立自治大学 ヘスス・ガリンド博士
「石碑には、彼らの天文学的成果である暦がマヤ文字で刻まれています・・マヤの人達が世界の始まりとする日からの経過日数が書かれています・・その下にはマヤの太陽暦の日付が書かれているのです・・それと7モルという数字」

上記画像は、マヤ暦のカレンダーです。マヤでは、世界の始まりを紀元前3114年と考えました・・それから4000年後、731年に先ほどの石碑は建てられたのです。

マヤの人達は、その間に閏年が931回あったと7モルと刻みました・・ここで石碑が建てられたのと同時期の8世紀にヨーロッパで使われていたユリウス暦閏年の回数を数えてみます。

4年に1度づつの閏年を入れると961回でマヤ暦とは30日も異なります・・現代天文学ではじき出された正確な閏年の回数は、931回でマヤ人が石碑に刻んだ値とピタリト一致します。

メキシコ国立自治大学 ヘスス・ガリンド博士
「マヤが7モルと記していたのは驚くべき事です・・マヤの人たちの方が同時代のヨーロッパ人より正確に1年に長さを知っていた事になるからです。これはマヤの人達が独自の観測によって暦を補正していた事の証拠です・・8世紀には、マヤこそが天体観測で世界の最先端を走っていた事になるのです」

ユリウス暦 1年 365.25日
マ ヤ 暦 1年 365.242日
現代天文学 1年 365.2422日
マヤ暦は、小数点以下3桁まで正確だったのです。

 

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Front4 解明!マヤ算術

驚異的な精度のマヤの暦、そこには私たちと違うマヤ独自の時間感覚が込められています・・アメリカ・テキサス州オースチン象形文字の解読からマヤ文明の秘密に迫っている研究者がいます。

テキサス大学 デービッド・スチュアート教授
「古代の人々は様々な天体の動きに注意を払い意味を探ろうとしました・・中でもマヤの人達が特別だったのが他の文明とは比べ物にならないような巨大なスケールで時間をとらえていた事です」

「マヤは、ロング・カウント(長期暦)という独特の時間の測り方を1000年近く使い続けました・・天体を観測し、ある周期を記録する場合、時間の間隔を正確に残す事が不可欠です。その時間の基準となったのが営々と日数を数え上げるロング・カウントだったのです」

ロング・カウントとは、彼らが世界の始まりと考える紀元前3114年8月16日から時間の流れを1日単位で数えるシステムです・・名前の通り長期間、日数だけを数え上げました。

このゆるぎないロング・カウントを絶対座標とする事で太陽の観測結果を1000年近くにわたって正確に残す事が可能となりました・・これにより4000年で1日もずれないという正確な暦を実現していたのです。

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Front5 解剖!マヤ天文台

太陽の蛇、ククルカンが舞い降りるチチェン・イツァ遺跡(8~11世紀)、ここにもう一つマヤの暦の秘密を解き明かしてくれる建物があります。

カラコル天文台(9世紀)、造られたのは今から1200年前です・・詳しく測量調査をしてみるとカラコル天文台は不思議な形をしている事がわかりました。

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上下2つある階段の向きはバラバラ、どちらも東西の軸から20度以上ずれています・・中心の円筒状の建物の入口は4つ東西南北を向いています。

メキシコ国立自治大学 ヘスス・ガリンド博士
「この建物で最も特徴的なのは、窓や入口の両側の壁を斜めに結ぶラインの使い方です。このラインが様々な天体の重要な方向を指し示しているのです」

1例を上げると窓の斜めのラインが造り出すのは、春分の日の日没方向を指し示しているのです・・調査によるとこの窓の方向と春分の日の太陽の方向は、1度以下です。

マヤの人達は、こうした天文台で太陽の動きを正確に観測し、正しい暦を作り上げていたのです。

 

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Front6 解読!マヤ古文書

上記写真は、マヤの古文書ドレスデン・コデックス・・この解読によりマヤ天文学は我々の予想を遥かに超えた高いレベルに到達していた事がわかりました。

テキサス大学 デービッド・スチュアート教授
「実は、これは実に詳細な天体の観測記録です。この5ページの部分はビーナステーブルと呼ばれています・・5ページにわたって金星の動きが詳細に書かれています」

金星はマヤ語でチャクエク、エクは星、チャクは偉大な・・金星は偉大な星と呼ばれていました。

テキサス大学 デービッド・スチュアート教授
「この表でまず気付くのは、それぞれのページの一番下に赤字で書かれた数字です。
(11×20+16)=236
( 4×20+10)= 90
(12×20+10)=250
( 0×20+ 8)= 8
合計584、地球から見た金星の周期にピタリト一致します」

地球から見た金星は方角や高さを日々変えてゆきます・・しかもその動きは複雑です・・マヤは天体観測から地球から見た金星の動きを正確に知っていたのです。

ドレスデン・コデックスには584日の金星周期が5ページにわたり繰り返し書かれています・・どうして同じ物が5回も書かれているのか謎を解くカギはある遺跡に刻まれていました。

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ククルカン神殿の近くにある金星の神殿です・・金星を意味する象形文字が至る所に刻まれています・・上記画像は、この神殿で見つかった石板です。

この石板は、5金星と8太陽が等しいという意味です。
金星の周期584×5=2920
1太陽年365×8=2920
ピタリト一致するのです。

これがコデックスのビーナステーブルが5ページある理由だったのです・・5金星と8太陽が等しい・・これを現代天文学で読み解いてみましょう。

金星と地球は異なる周期で太陽を回る為、定期的に接近し3つの天体が一直線に並びます・・並ぶのは584日に1回です。

そして丁度8年が経過すると最初と同じ場所で5回目の直列となります・・5と8と言う単純な数字で金星が太陽と深く結びついている事をマヤの人達は知っていたのです。

テキサス大学 デービッド・スチュアート教授
「マヤにとって金星がどれほど大切だったのかは、コデックスや壁画、金星の方向を向いた天文台ばどから明らかです。マヤの人達は太陽だけでなく金星も合わせて観測することで1000年近くにわたって正しく暦を使う事が出来たのです」

マヤにとって金星と太陽が同じ方向に並ぶ事は、天体現象を超えた特別な意味を持っていました・・マヤが絶頂期を迎えた8世紀、都市国家は頻繁に戦争を繰り返しました。

ユカタン半島南部の都市国家ボナンパック(6~9世紀」)の王、チャン・ムワーン2世の時代にも大きな戦争がありました・・王、チャン・ムワーン2世が描かせた勝利を記念する壁画が残っています。

壁画には戦争を始めた日付が残されています・・792年8月6日です。この日の惑星の位置を計算すると特別なである事がわかりました・・太陽、金星、地球が一直線に並ぶ日でした。

テキサス大学 デービッド・スチュアート教授
「地球から見て地球から見て太陽と金星が一列に並ぶ日だった事は驚きです・・この事実からマヤの王は、戦争を始める日を金星の位置によって始めていた事がわかるのです」

実はマヤにとって金星は戦争の神とされていました・・王を象徴する太陽と戦争の神、金星が一列に並ぶ日こそ戦争を始めるふさわしい日だったのです。

金星と太陽が引き起こす更にまれな現象があります。100年に数度、太陽の真上を金星が通過するのです・・ガリンドさんは、そんな珍しい天体現象もマヤの人達は知っていたといいます。

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メキシコ国立自治大学 ヘスス・ガリンド博士
「これは13世紀に描かれた壁画です。長方形をした壁画ですがここには太陽が描かれています・・この太陽の中に頭を下にした人物の姿が認められます」

神であるはずの太陽に描かれた人物像、ガリンドさんはこれは金星チャクエクだと言います・・金星が太陽の真上を通過するのは僅か数時間、マヤの人達はそんな珍しい天体現象を観測し、壁画として描いていたのです。

次にこの現象が起こるのがあの2012年です。・・更に2012年には、マヤのロング・カウントもある区切りを迎えます。

5桁目の数字が繰り上がり、一つの時代が終わります・・その日は2012年12月23日、これが映画にもなったマヤの週末予言にも繋がっています。

連日、観光客で賑わうマヤ遺跡チチェン・イツァ・・マヤは今も人々を魅了し続けています

太陽を見つめ、太陽とともに生きたマヤの人たち、2000年にわたり繁栄した彼らは天文学を発達させ驚異の暦を作りだしました。

今や文明は失われましたがその断片は確かにこの地こそ人類の宇宙探究の最前線、コズミックフロントであった事を教えてくれました。