旅cafe

旅行会社の元社員が書く旅日記です…観光情報、現地の楽しみ方、穴場スポットなどを紹介します。

日の出山荘 中曽根康弘・ロナルド レーガン日米首脳会談記念館

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日の出山荘

 日の出山荘は、かつて中曽根康弘内閣総理大臣が所有していた別荘です。

青雲堂・天心亭・書院の3棟からなり、敷地面積は約2万5000平方メートル…1983年(昭和58年)、中曽根総理とロナルド・レーガンアメリカ合衆国大統領(当時)との首脳会談会場として使用されました。…いわゆる「ロン-ヤス関係」発祥の地となった場所です。他には、ゴルバチョフソビエト連邦大統領や全斗煥大韓民国大統領、歴代駐日アメリカ合衆国大使などが招かれています。

 

そして2006年(平成18年)中曽根氏より日の出町に寄付されまして、2007年(平成19年)に「日の出山荘 中曽根康弘・ロナルド レーガン日米首脳会談記念館」として一般公開されたました。

 

木々に囲まれた緑豊かな「日の出山荘」… 都会の喧騒から離れ、ゆっくりご散策頂ければ自然の息吹と郷愁を誘う懐かしい景色にきっとリフレッシュされることと存じます。

 

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中曽根康弘
中曽根元総理についても語っておきます…

 

 中曽根康弘、第71代内閣総理大臣、1982年~1987年の5年にわたって総理大臣を務めました。
現在も元気に、ご活躍、御年100歳…政界の御意見番としてテレビにも定型的に顔を出したりしています。
178センチの長身で国際会議やサミットに出席しても各国首脳と遜色のない体格でカッコよかった事を覚えています…チョット嬉しかったですね。

中曽根さんの代表的なニックネームは「風見鶏」、…柔軟な考えで…どんな人とでも、誰とでも仲良くなれるという…節操のない特技を持っていました。…「不沈空母」なんて発言もありました…極めつけは追い詰められた中曽根総理が打った大芝居…「死んだふり解散」…自民党史上空前の大勝利をもたらした…「衆参両院同日選挙」…を仕掛けたりもしました。

悪運も強い人でもありまして…ロッキード事件では、刑務所の塀の上を歩いていて内側に落ちたのが田中角栄、…外側に落ちたのが中曽根康弘なんて事も言われてました。
お茶目なところもあって憎めない政治家でした…でも国を思う気持ちには一本筋が通っていた政治家だったんではないかと思います。

 

先の大戦、太平洋戦争では海軍士官として戦い抜いた経歴を持っています。
東京帝国大学卒業後、主計科士官に応募し任官、中尉として重巡洋艦「青葉」配属される。その後は艦船に食料弾薬を調達する主計長に着任、そして日米開戦を迎えます。

代表的な戦闘としては、インドネシアの「バリクパパン沖海戦」に参加した輸送船団の乗組員としての体験談があります。

日本軍輸送船団20隻がバリクパパンの湾に進入したところ、湾内にオランダとイギリスの駆逐艦、潜水艦が突入、中曽根が乗船している前後左右の4隻は轟沈、さらに接近してきた敵駆逐艦から中曽根の乗る艦へも砲撃や機関銃からの銃撃を加えられる。中曽根が情況を確認すると、船倉は阿鼻叫喚の地獄絵図、…多数の重傷者、戦死者を出した戦いでした。 

中曽根は当時の体験を振り返って次のように語っています。
「彼ら、戦死した戦友をはじめ、一緒にいた二千人は、いわば日本社会の前線で一番苦労している庶民でした。美辞麗句でなく、彼らの愛国心は、混じり気のない本物と、身をもって感じました。私は著書の中で…『私の体の中には国家がある』、…と書いたことがありますが、こうした戦争中の実体験があったからなのです。この庶民の愛国心がその後、私に政治家としての道を歩ませたのです。」
…と語っています。

評価は、別れると思いますけど、色んな意味で存在感のある政治家だったと思います。