NHK コズミックフロント COSMIC FRONT
偉大な旅人ボイジャー 太陽系を越えて
今から30年前、二度と戻らない壮大な旅にでたアメリカの探査機があります。探査機には”ボイジャー”大海原を旅する航海者という名が付けられました。
ボイジャーは、太陽系の惑星や衛星を世界で初めて鮮明に撮影、多くの発見を成し遂げました…まるで絵画のような木星の姿、衛星イオでは想像もしなかった現象をとらえます。土星では、その輪の正体に迫ります…天王星、海王星へも到達、その驚きの素顔を明らかにします。
アメリカ・カルフォルニア州・パサデナにあるNASAジェット推進研究所…通称JPL、この管制センターでは現在10機以上の探査機の電波を受信しています。その中にVOYAGER(ボイジャー)の文字、ボイジャーは今も太陽系を飛行し続けているのです。
NASA主任管制官
「ボイジャーは2機飛んでおり、毎日その電波を受信しています…私たちが追跡している中で最も遠くを飛ぶ探査機なのです」
NASAのホームページには、地球からボイジャーまでの距離がリアルタイムで表示されています…現在ボイジャー1号は地球から178億キロ離れた宇宙空間を飛行中、2号は145億キロ彼方を飛んでいます…秒速17キロ、実に弾丸の10倍以上という猛スピードで地球から遠ざかっているのです。
壮大な太陽系の神秘の海に乗り出した偉大な航海者…そして今、ボイジャーは人類が作った物体として初めて太陽系を離れようとしています…小さな探査機に賭けた科学者たちの大きな夢、今回のコズミックフロントは、未知なる海へと旅を続ける惑星探査器ボイジャーに迫ります。
Front 1 果てしない旅へ
1977年ボイジャーは、フロリダのケネディー宇宙センターから打ち上げられました…二度と戻る事のない永遠の旅路です。ボイジャーは、いったいどのような探査機なんでしょうか。
スミソニアン航空宇宙博物館(アメリカ・ワシントンD.C.)歴代の宇宙船が数々の偉業を伝えています…上記写真はボイジャーの試作機です。重さ800kg、全長18m、そして命ともいえるのが直径3.7mのパラボラアンテナ、常に地球を向き管制センターと交信し様々なデータを地球に送ります。
案内してくれたのはエドワード・ストーン博士、ボイジャー計画を牽引してきた科学者です。
エドワード・ストーン博士
「それは想像もしていなかった発見の連続でした…ミッションに関わった全ての人がボイジャーとともに旅をしてきたのです」
ボイジャー計画が立ち上がった1960年代、様々な分野で変革が行われていた激動の時代、宇宙開発では月への第一歩を踏み出していました…太陽系の惑星に対する関心も高まり、高性能の望遠鏡による観測が進みました。
しかし…当時天文台でとらえた惑星の映像です…地上からの観測では、厚い大気の層に阻まれ、ぼんやりとしか捕らえることが出来ません。探査機を打ち上げ、惑星を間近で観察することが科学者の悲願だったのです。
実際に行うことができた探査は、火星や金星などすぐ近くの惑星まででした…遠くの惑星探査を阻む壁、それは時間です。一番遠い海王星に到達するには、計算上30年以上かかるのです。当時の探査機では、そこまで長期の飛行は耐えられないとされていました。
1966年、そんな惑星探査の限界を打ち破る一つのレポートがNASAに提出されます…そこに書かれていたのは、グランドツアーミッション…なんと海王星まで12年で行けるというのです。レポートを書いたのは、カルフォルニア工科大学の大学院生ゲイリー・フランドロさん。
フランドロさんが提唱したグランドツアーの可能性、その裏付けとなったのが当時誰も注目していなかったある事実でした。
テネシー大学 宇宙研究所 ゲイリー・フランドロ博士
「私は、惑星の地図を作っていて大変な事に気づきました…木星・土星・天王星・海王星の全てがほぼ同じ方向に並ぶ時期があったんです。これは1機の探査機で全てを回るチャンスなのです」
惑星はそれぞれ太陽を回る公転速度が違います…その為、同じ方向に並ぶことは滅多にありません。しかし計算によれば1970年代後半から地球の外側の惑星がほぼ同じ方向に並ぶというのです…その時期を利用すれば1度の打ち上げで海王星までの惑星を探査できる可能性があるのです。
レポートには、グランドツアーにかかる時間を大幅に短縮できる方法も書かれていました…フライバイ(スインウバイ)といわれる航法です。
公転している惑星は高速で太陽の周りを回っています…探査機が惑星に近づくと重力によって引き寄せられますが惑星に引っ張られるようにしてスピードを上げる事ができるのです。…これがフライバイ航法です。
フライバイを繰り返しながら旅をすることで30年はかかるといわれた海王星までの時間を半分以下の12年に出来るのです。フランドルさんのレポートはNASAの飛行センター所長、ヴァルナー・フォン・ブラウンの目にとまります。
テネシー大学 宇宙研究所 ゲイリー・フランドロ博士
「彼は素晴らしいチャンスだと言って、この計画を強く押してくれました…すぐに政府まで話が行き、大統領にまで伝わったのです…なんと言っていいか、まるで天国から光がさすようでした」
ところが当初政府はグランドツアー計画を承認しませんでした…問題は莫大な費用でした。すでに宇宙開発の目玉としてスペースシャトル計画はスタートし、多額の予算が投入されていました…グランドツアー計画を確実に成功させる為には、裁定2機の探査機が必要でその費用は10億ドル、当時の日本円で3000億円もかかります。
更に終わりの見えないベトナム戦争、多額の軍事費が費やされ、これ以上宇宙開発に予算を割くことは出来ないとされたのです…やむなくNASAは、予算を半分以下に削り、行先も土星までにとどめる事にします…そして政府と再度交渉した結果、ようやく承認されたのです…これがボイジャー計画の始まりなのです。
1972年、ボイジャー計画開始…開発は急ピッチで進められます…惑星が並ぶタイミングを利用するには、5年以内に打ち上げなければなりません。ところが科学者たちはすぐに大きな課題にぶち当たります…ボイジャーの飛行計画を立案したチャールズ・コールヘイスさん。
ボイジャー計画 ミションデザイナー(当時)チャールズ・コールヘイス
「ボイジャーとの通信のタイムラグは離れれば離れるほど大きくなります…たとえば土星まで行くと通信まで1時間半かかります。もし機体にトラブルが発生しても1時間半気づくことができないのです」
長距離航行につきもののタイムラグが大きな壁となったのです。この問題を解決するには全く新しい技術が必要でした…コールヘイスさんたちがたどり着いたのは、コロンブスの卵ともいえる画期的なシステムでした。
ボイジャー計画 ミションデザイナー(当時)チャールズ・コールヘイス
「トラブルを自分自身で処理するのです…探査機が自分で判断することでタイムラグを乗り越えようとしたのです…たとえば姿勢制御装置が損傷し、燃料が漏れたとしたら、自ら壊れた箇所を止め別の動力を使うように設定したのです」
当時最先端のコンピュータでも現代の高級電卓並み…コールヘイスさんたちはそれを6台組み合わせることでボイジャーに新しい頭脳を与えたのです。
1977年8月20日 ボイジャー2号打ち上げ
1977年9月 5日 ボイジャー1号打ち上げ
無事大気圏を脱出し、宇宙の航海に乗り出したボイジャー…地球を離れる軌道に乗り、木星に向けて出発したのです。
Front 2 未知との遭遇
1979年3月、ボイジャー1号が最初の目的地木星に接近、地上からは縞模様の表面がぼんやり見えるだけだった木星…その真の姿がいよいよ明らかになるのです。
上記画像は、ボイジャーがとらえた木星です…その表面は、帯状のガスに彩られていました。鮮明に写し出された大赤斑、直径4万キロ、地球がすっぽりと入るほどの大きさです。
連続写真の撮影にも成功、分析の結果、大赤斑の周りでは風速100m以上という想像を絶する強風が吹いていることもわかりました。
存在が予想されながら地球からは見えなかった木星の輪も鮮明に撮影…更に木星の衛星の一つイオで常識を覆す大発見がありました。
当時、惑星を回る衛星はどれも月のように静かで動きのない、いわば死んだ星と考えられてきました…しかし、ボイジャーから送られてきた画像には、火山の噴煙を噴き上げる惑星イオの姿があったのです。地球以外の天体で初めて火山活動が確認された瞬間です。
見つかった火山は全部で8ヶ所、そのニュースは世界中に衝撃を与えました…火山活動は、木星とイオ、互いの引力によってエネルギーが生じ引き起こされたと考えられています。
ボイジャー計画 ナビゲーションエンジニア リンダ・モラビトさん
「太陽のエネルギーが地球の1/25しか届かず、殆どのものが凍ってしまい死んでいるような世界です…しかし、その星に命を吹き込むメカニズムがあるとは、誰も想像すらしていませんでした…天文学の歴史の中でこのような大発見は非常に稀です。そこに立ち会えたのです」
噴煙の高さおよそ270キロ、地球の火山の10倍以上です…衛星イオは生きていたのです。
Front 3 不屈のボイジャー
ボイジャーの土星接近を目前としてNASAでは、大々的なイベントが催されました…木星で大成功を納めたボイジャーに世界中が大きな期待を寄せたのです。
地球からその輪郭が観測されていた土星、輪は3本の細い輪ぁら出来ていると考えられていました…11月12日、ついにボイジャー1号が土星をとらえます。人類が初めて目にした土星の詳細な姿、科学者たちの予想をはるかに越え、その輪は1000本以上の細い輪が集まって出来ていることがわかりました。
ストーン博士もその姿に圧倒されてといいます。
ボイジャー計画 チーフサイエンティスト エドワード・ストーン博士
「とにかく美しかったです…驚くほど詳細でした…更に私たちは、土星の輪に電波を当て輪を形成している粒子を調べました。するとその正体は氷の粒で小さな物は、数ミリ、殆どは雪玉(ソフトボール)ぐらいの大きさですが、大きいものは家の一部屋ほどもありました。
それらの粒子が集まって幅40万キロ、厚さ1キロの巨大な輪を作り上げていたのです…この輪はかつて、そこにあった衛星が何らかの原因で砕けて出来たと考えられています。
更にボイジャーは、輪の表面に浮ぶ黒い模様を捉えました…その詳細は今だ不明ですが磁気の影響で輪の表面に浮かんだチリではないかと思われています。
ボイジャーがとらえた土星の姿は、世界中の注目を集めます…ボイジャー1号は、土星で新たに3つの衛星を発見、そして太陽系の外へと向かいます。ボイジャー1号は、予想をはるかに上回る成果を残し、惑星探査のミションを終えたのです。
その頃、ボイジャー2号は、1号より4億キロ離れたところを飛んでいました…NASAは、このボイジャー2号で更なるミッションへの挑戦を考えます。
ボイジャー計画 ミションデザイナー(当時)チャールズ・コールヘイス
「実は、私たちは打ち上げ前に海王星までいけるようにボイジャー2号のプログラムを設定していたのです」
NASAは、ボイジャー2合を天王星、海王星、まで向かわせる計画を政府に提案します…これまでの功績を高く評価した政府は追加予算を承認、ストーン博士たちの悲願であったグランドツアーがついに実現する事になったのです。
ボイジャー2号は土星を超え、天王星に進路を取ります…しかし、この時、ボイジャー2号から思わぬ信号が届きます…カメラを自在に動かすターンテーブルが動かなくなった事を報せる信号でした。
ストーン博士がボイジャーの全てを記録してきたノートです…今年で44冊目、ターンテーブルのトラブルは、ボイジャー最大の危機だったといいます。
ボイジャー計画 チーフサイエンティスト エドワード・ストーン博士
「ターンテーブルの軸が太陽から10度動いたところで停止、極めて深刻な事態でした…そこで私たちは地上でターンテーブルと同じものを作り、対策を考えました…その結果、ターンテーブルをゆっくり回せば問題は起きないことがわかったのです」
しかし、2号のターンテーブル復旧には更新でプログラムを書き換えるしかありません…ストーン博士たちは地道な遠隔操作を続け、ようやく解決に至ったのです。
1985年7月、ボイジャー2号は天王星に接近、地球からは青い点にしか見えず謎の惑星だった天王星…天王星には大気の運動が殆ど見られませんでした…。
その周囲には、輪が11本も見つかりました…更にボイジャーの赤外線写真から驚くべき事がわかりました…なんと天王星は横倒しになって自転していたのです。太陽性の惑星は、自転軸が公転面に対して縦になっています。
天王星は誕生間もなく、惑星ほどの大きな天体が衝突、その影響で自転軸が横を向いてしまったとしまったと考えられるのです。…人類が初めて見る天王星の姿、ボイジャーは私たちの予想を超える太陽系の姿を教えてくれたのです。
Front 4 最後の惑星へ
長野県佐久市、のどかな田園風景が広がるこの地が実はボイジャーの海王星探査と深く関わっていました…山中に見えてきたのは巨大なパラボラアンテナ、直経64m、日本最大のアンテナを持つ臼田宇宙空間観測所、日本の天文学史に大きな足跡を残した探査機はやぶさと交信しました。
一時、通信不能となった、はやぶさの電波を再び捉えたのがこの観測所でした…1987年NASAから思いがけない以来が来ます…2年後のボイジャーの海王星接近の際に電波をとらえ大気成分のデータを収集して欲しいというのです。
その時、地球の自転の関係でボイジャーの電波は、太平洋側でしか受信出来ないからです…しかもチャン氏は僅か数時間、そこでNASAが注目したのがアジア最大だった臼田観測所のアンテナでした…この大仕事を任されたのが現在所長を務める山本善一さん、その頃まだ入りたての新人研究者でした。
臼田宇宙空間観測所 山本善一所長
「いやー相手が天下のNASAですし、更に一発勝負の実験ですから絶対失敗は許されない訳です…これは非常に責任重大だなと思いました」
そこには大きな困難が待ち構えていました…その一つがボイジャーの電波の弱さ、ボイジャーの発電機から生み出される電気は400ワット、大部分はコンピュータやカメラなどに使われ、電波の出力は20ワットが限界です。
ボイジャーの信号は小さな電球1個分ほどの電力で送られてくるのです…しかも受け取る電波は海王星からの距離45億キロの中で更に弱くなります。
臼田宇宙空間観測所 山本善一所長
「ボイジャーのアンテナから送り出された電波がどの位、地球に届いたとき減衰していますか?と質問したら1/1兆×1/1兆×1/10万ぐらいとの事…」(筆者:想像がつきません)
僅か数時間の観測の為に一年がかりで入念なリハーサルが繰り返されました…NASAから送られてきたリハーサルマニュアルには、スタッフ一人一人の行動が分刻みで書かれています。緊張の日々が続きました。
そして1989年8月25日、その時がやってきました…些細なミスも許されない一発勝負、全員が注目する中、一筋の電波がくっきりと映し出されました。この一際長く伸びた線が45億キロ彼方から送られてきたボイジャーの声…。
日本とアメリカで初めて行なったボイジャーの海王星探査プロジェクト…苦労が報われた瞬間でした…ボイジャー2号によって明らかになった海王星の姿です。
臼田観測所のデータなどからその詳細が判明し、大気は水素やヘリウムの他に少量のメタンが含まれていた事が分かりました…そのメタンが海王星を美しい青色にしていたのです。
木星のような大きな斑点もありました…そして大気中には白い雲のような筋…太陽から届くエネルギーは地球の1/900、しかし内部に熱を持ち、大気を循環させていたのです。
臼田宇宙空間観測所 山本善一所長
「ボイジャーの実験のとき、やはりNASAの持っている技術力の高さというのを思い知らされましたし、沢山学びました。そういった経験を生かしたうえで今の我々JAXAの観測の基礎が出来ているのだと思っています」
ボイジャーの観測に参加したことは、日本の宇宙開発の大きな礎となっていきます…ボイジャー2号は海王星探査を終え、太陽系の外に進路をとったのです。
Front 5 宇宙へのメッセージ
太陽系探査を終えボイジャーの成果を発表するストーン博士…打上から20年、ボイジャーは太陽系の姿を次々と明らかにし、世界の宇宙開発に大きな影響を与えてきました。
その後もボイジャーは片時も休むことなく飛び続けます…ストーン博士たちは、そんなボイジャーにある司令を与えます。進行方向とは逆にカメラを向け、太陽系の惑星の軌道に合わせて一枚一枚、写真を撮らせたのです。
それは、二度と帰らぬ故郷の姿、その一枚にはかろうじて見える青い点…遥50億キロはなれた地球です。
ボイジャー計画 チーフサイエンティスト エドワード・ストーン博士
「本当に遠くまで来たなと実感しました…地球はとても小さく、まるで消えるように写っています。宇宙から見れば地球も太陽系もほんの小さな存在だという事をボイジャーは教えてくれたのです」
広大な宇宙空間に浮ぶ小さな星、地球…その上で私たちは身を寄せ合って生きているのです…数々の科学的発見を成し遂げたもう一つのボイジャーの使命が、この金色のレコードに秘められています…その使命とは…
レコードの制作に携わった人物を訪ねました…フランク・ドレイク博士です。当時コーネル大学で宇宙物理学を研究していました。ドレイク博士は自ら考えた方程式により、広大な銀河系には地球と同じ高度文明が必ず存在すると唱えています。
コーネル大学 宇宙物理学(当時) フランク・ドレイク博士
「銀河系には2000億もの恒星があります…その中で知的文明を持つ惑星は1億あると私は考えています」
ボイジャーに乗せたレコードは地球外知的生命体へのメッセージだと言うのです…
コーネル大学 宇宙物理学(当時) フランク・ドレイク博士
「これはボイジャーの探査機に付けられたレコードのカバーの複製です…この図は宇宙の地図で電波を出す14個の星から地球の位置が分かることを示しています…ここにはレコードを回転させる事によって情報が引き出せると記しています」
中に入っているのは、ゴールデンレコードと呼ばれるもの…収録されているのは地球の様々な音です。そして55種類の言葉による挨拶です。
更にゴールデンレコードには、112枚の地球の様子も記録されています…共通の言語を持たなくても画像を通じて交流できると考えたのです。
人間の体の仕組みや食べ物、さりげない地球の風景など地球に生きる私たちのプロフィールを納めたのです…そしてドレイク博士は、このレコードにはもう一つの重要な意味があるのだといいます。
コーネル大学 宇宙物理学(当時) フランク・ドレイク博士
「レコードは、我々人類の記念碑でもあるのです…遠い将来、太陽は寿命を迎え、膨れ上がって地球を飲み込みます…つまり、私たちの地球はいずれ確実に消滅するのです。その時、ボイジャーは地球の記憶となって永遠にこの宇宙に残るでしょう…地球に文明が存在していた事を伝えてくれるのです…宇宙はとても広く、長い時間が流れていきます。その中で人類は、ほんの一瞬しか存在していないのです」
広大な宇宙空間でいったいどんな生命体が地球からのメッセージを見つけてくれるのでしょうか…ボイジャーが次の恒星にたどり着くのは5億年後と言われています…小さなメッセンジャーは、今日も宇宙を地球の記憶を乗せて飛びつつけているのです。
Front 6 太陽系を越えて
現在ボイジャー1号は太陽系の端、地球から178億キロ離れた宇宙を飛んでいます…およそ30年かけて地球から太陽までの100倍の距離に到達したのです。
メリーランド州立大学、ボイジャーから受信したデータはここにも送られてきます…分析しているのはジム・ドレイク博士、太陽系の構造を研究しています。
太陽系は銀河系の中をおよそ秒速210キロという高速で回っています…その先端は太陽から放出される物質と太陽系の外にある物質がぶつかる領域、厚い壁のような状態になっており、ボイジャーは、その壁に向かって飛んでいるのです。
博士はそんなボイジャーから届いたある興味深いデータを見せてくれました…
メリーランド州立大学 宇宙物理学 ジム・ドレイク博士
「ボイジャーは宇宙にあるプラズマの密度を測定できるのですがそれを音に変換してみました」
ボイジャー1号からの音…何かに当たるような音…?
メリーランド州立大学 宇宙物理学 ジム・ドレイク博士
「ボイジャーがターミネーションショックを通過した音だ」
ターミネーションショックとは、太陽かから出るプラズマの流れが太陽系をとり囲む壁に当たって勢いを落とすエリアです…ボイジャーはこのプラズマの変化を捉えたのです。
つまりボイジャー1号は、ターミネーションショックを越え、その外側にある壁の領域を通過中と考えられるのです。
太陽系の外では、星の爆発などで起こった宇宙線が大量に飛び交っています…この宇宙線が直接当たると細胞などを深く傷つけてしまうと言われています。しかし、太陽系を取り囲む壁が外から来る宇宙線を減らしていると考えられています。
私たちを守ってくれている母なる星、太陽…ボイジャーは母なる太陽系を離れ、新たなる一歩を踏み出そうとしています。…その先にあるのは、未知なる荒野。
ついに太陽系を飛び出して他の恒星へと向かっています。宇宙を自由に行き来することは私たち人類の夢、人類の未来への約束です…ボイジャーは、宇宙を切り開く私たちの最初の道標なのです。
ボイジャーの電源はまだ25年は持つと言われています…その間、太陽系の外には何があるのか、それを私たちに教えてくれることでしょう…最後の力が尽きるその時まで…。